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【日本の源流を訪ねて】「通潤橋」 復興へ再び未来の架け橋に 熊本県山都町

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【日本の源流を訪ねて】
「通潤橋」 復興へ再び未来の架け橋に 熊本県山都町

 石組みの橋中央から水が噴き出す。ダイナミックな「放水」で、通潤橋は県内外から多くの観光客を集めてきた。だが、4月に発生した熊本地震で被害を受け、現在も橋への通水は止まっており、周辺への立ち入り規制も続く。

 「町の誇りであり、大切な観光資源でもあった。放水がなくなり、観光客数は例年の半分以下になった。放水の見通しを聞かれることも多く、早く元の姿を取り戻してほしい」

 近くの道の駅で働く町観光協会職員、原田めぐみ氏(33)は残念そうに語った。

 江戸時代、水不足に悩む白糸台地の民衆を救おうと、惣庄屋(村長)、布田保之助(ふた・やすのすけ)(1801~1873)が約6キロ離れた川から台地まで水を送る事業に着手した。通潤橋は、その水路の一部で嘉永7(1854)年に完成した。

 長さ75・6メートル、幅6・3メートル、高さ20・2メートル。石造りアーチ水路橋としては、国内最大級だという。

 建設は「肥後の種山石工(たねやまいしく)」が担った。種山石工は、江戸から明治期に活躍した石工集団だ。熊本だけでなく鹿児島の石橋、東京・万世橋などを手掛けた。

 通潤橋は昭和35年、重要文化財に指定された。

 橋の上部には通水管3本が敷設され、現在も周辺の田畑を潤す。

 放水は通水管に詰まったごみなどを取り除く目的で行われてきた。豪快さが人気を集め、平成27年春から、放水時間を事前告知し公開する観光放水が始まった。熊本を代表する観光スポットの一つに成長した。

 一連の熊本地震で通潤橋も被災した。通水管の目地から多量の漏水が確認され、橋上部の石材「手摺(てすり)石」も外にせり出した。

 橋の保存・管理にあたってきた町教委は、10月から被害状況の調査に着手した。本年度内に、橋上の被覆土をすべて掘削して通水管を露出させて漏水箇所の特定を進める。橋や石材のゆがみの計測も実施する。

 町教委は、事前調査を終え、本格的な復旧工事に着手できるのは29年度以降と想定する。担当の学芸員は「被害状況を調査してからでないと何とも言えないが、できるだけ速やかに復旧計画を立て、一日も早く復旧できるよう動いていく」と語った。

 《熊本の白糸台地は江戸時代、水に乏しい不毛の大地でした。この困難の中に、布田保之助は希望を見いだした。水路橋を架け、山から水を引く。高さ20メートルもの石橋は当時存在せず、30億円を超える費用を捻出しなければならない。高い水圧、大雨、想定外の事態に何度も失敗。それでも、保之助は決して諦めなかった。30年以上にわたる挑戦の末、通潤橋を完成させました。熊本地震で一部損壊したものの今も現役。150年にわたり白糸台地を潤し、豊かな実りをもたらしてきた。まさに『未来への架け橋』となりました》

 今年9月、安倍晋三首相は第192臨時国会の所信表明演説で、通潤橋に触れた。

 そして、憲法改正論議について「決して思考停止に陥ってはなりません。互いに知恵を出し合い、共に“未来”への橋を架けようではありませんか」と呼びかけた。

 数年後、熊本地震からの復旧を遂げた通潤橋は、再び未来への架け橋となるだろう。

 (南九州支局 谷田智恒)

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 所在地は熊本県山都町長原。車では九州道の御船インターチェンジ(IC)か松橋ICから約45分。見学自由だが、現在は橋へ近づけない。近くの「道の駅 通潤橋」には、駐車場のほか、物産館や食事スペース、通潤橋資料館がある。問い合わせは道の駅通潤橋物産館(電)0967・72・4844。