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北九州市文学館で司馬遼太郎展 義弟の上村氏が見た魅力語る

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北九州市文学館で司馬遼太郎展 義弟の上村氏が見た魅力語る

「没後20年 司馬遼太郎展」を見学する来場者=22日午前、北九州市立文学館(志儀駒貴撮影) 「没後20年 司馬遼太郎展」を見学する来場者=22日午前、北九州市立文学館(志儀駒貴撮影)

 北九州市の市立文学館で22日に始まった「没後20年 司馬遼太郎展-21世紀“未来の街角”で」(同文学館、産経新聞社主催、司馬遼太郎記念財団監修)では、同財団理事長で司馬遼太郎記念館館長の上村洋行さんが記念講演した。司馬がどうやって作家になったのか。どういう視点で考えていたのか。身近にいた“目撃者”が、その魅力を語った。(菊池昭光)

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 上村さんの実姉が、司馬と結婚した。上村さんは高校、大学の時に両親を相次いで亡くしたことから司馬が引き取り、一緒に暮らすようになった。

 「日常生活では天下国家や作品の話をすることもなかったが、とても思いやりや配慮のある人だった」

 司馬が本格的に作家を意識し始めたのは、産経新聞大阪本社文化部に在籍していたころだという。給料だけでは資料、特に辞書類が買えなかった。直木賞作家の寺内大吉の勧めで懸賞小説に『ペルシャの幻術師』を初めて応募した。この時初めて「司馬遼太郎」の名前を使った。

 昭和35年の直木賞作品『梟の城』はもともと、宗教専門紙「中外日報」に連載されていた『梟の都城(とじょう)』が原作。連載期間は当初3カ月だったが、読者からの評判が良く、延長が決まった。「司馬は読者という存在を意識し始めた」という。

 司馬はいずれも産経新聞夕刊に連載された『竜馬がゆく』(連載期間4年)、『坂の上の雲』(同4年3カ月)で揺るぎない地位を築く。

 新聞小説の場合、最初のゲラ(試し刷り)を読むのは担当の文化部員だが、『竜馬がゆく』は違う部局の人間が競うように奪っていったという。

 上村さんは、司馬が作家になったのは、旧制中学時代、学徒出陣の戦争体験、京都での新聞記者生活が影響しているという。

 旧制中学の時、「ニューヨーク」の由来が分からず、図書館で調べた。知る喜びを覚え、図書館のすべての書籍を読破した。司馬の頭の中には、イマジネーションとクリエーションという2つの「そうぞう」ができたという。「幅広い世界に関心を持ち、そこから日本を眺めるという思考を持った」

 学徒出陣では、旧満州に着任してすぐに「本土防衛をせよ」と命令が下り、栃木へ。分断されて南方に行った隊は全滅した。「何でこんな愚かな戦争をするのか」「国民を守るべき軍隊は何なんだろう」。司馬は、その時の自分に、作品という形で“回答”という手紙を出し続けた。

 京都での新聞記者生活では、日本で唯一の宗教の記者クラブと京都大学にあった大学記者クラブに所属したことで、考える深さをもらった。宗教を信じる信じないではなく、歴史や思想史として捉えた。

 司馬は「日本史を調べ直して編み直した」とも話していたという。『竜馬がゆく』も最初は物語だったが、それが歴史小説に変わり、幕末を初めて立体的に捉えられた。

 国民的作家、司馬の魅力を堪能できる一時となった。