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【九州の礎を築いた群像】三井松島産業編(9)技術移転

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【九州の礎を築いた群像】
三井松島産業編(9)技術移転

GDM炭鉱では三井松島産業グループ社員の監督・指導の下、坑道を掘り進んでいる GDM炭鉱では三井松島産業グループ社員の監督・指導の下、坑道を掘り進んでいる

 ■「石炭の新しい時代を切り開く」 インドネシアで坑内掘りに挑む

 「インドネシアで偶然、開発中の炭鉱を見つけたんです。話をしたら、ボーリング調査の協力者が必要みたいです。うちでどうですか?」

 2000(平成12)年、三井松島リソーシス取締役の高本拓(59)は、東京で部下から1本の電話を受けた。

 部下は赤道直下のボルネオ島にいた。三井松島産業の子会社、三井松島リソーシスはこの地で、炭鉱の技術セミナーを開いていた。

 高本は早速、現地に飛んだ。相手は現地企業、アヌングラ・バラ・カルティム(ABK)だった。アヌングラとはインドネシア語で「神様からの贈り物」の意味を持つ。

 ABKは、炭鉱の自社開発に初めて乗り出したところだった。技術を持つパートナーを求めていた。

 高本は、三井松島産業が経営してきた池島炭鉱(長崎県)で、石炭を掘る「採鉱」の技術者だった。作業員への指示や保安対策などを経験し、入社20年を迎えたところだった。

 「国は違っても、炭鉱会社の社員同士なら同じマインドでビジネスができる」

 ABKの担当者は、高本にそう伝えた。高本も同意見だった。

 偶然から始まったこの出会いが12年後、インドネシア初の大プロジェクトにつながった。

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 2001年、三井松島産業は池島炭鉱を閉山した。

 翌年4月、池島で培った炭鉱技術をアジア諸国に伝える研修が、国の事業として始まった。

 技術移転は、炭鉱作業員の再就職などに加え、「石炭の確保」という目的があった。

 国内の炭鉱は、海外勢との価格競争に敗れ、衰退した。だが日本は世界最大級の石炭消費国だ。安定した輸入先を確保しなければ、エネルギー不足の危険性が浮上する。

 研修によって、産炭国の技術力が向上すれば輸入ルートが広がる。

 九州では閉山したばかりの池島炭鉱の坑内で、インドネシアとベトナム人研修生を受け入れた。

 インドネシアへ技術員の派遣にも踏み切った。高本ら10人は02年、指導員として同国に赴任した。

 「池島の技術は、インドネシアでこそ生きる」

 高本はこう確信した。

 インドネシアの地層条件は、日本と似ている。同じ火山国で地震が多く、軟弱な地盤が多い。池島でも技術者は、軟弱地盤と闘いながら坑道を掘り進んだ。

 高本はインドネシアで、採炭の機械化を指導した。気がつくと5年の歳月を、インドネシアで過ごしていた。

 そのころ、三井松島産業はABKと、炭鉱の探査事業で連携していた。

 「今後も何か一緒にできないか」。両社が関係を深めた2010年ごろ「坑内掘り」プロジェクトが持ち上がった。

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 インドネシアの炭鉱は、「露天掘り」が主流だった。広い範囲で地表の土をはぎ取り、地下の石炭層に向かって巨大な穴を掘る。ABKも、そのノウハウは持っていた。

 しかし、熱帯雨林のインドネシアで露天掘りは、森林伐採を伴う。

 放置された炭鉱跡がため池のようになった場所や、採掘が住民の居住地に近づいているところもあり、大きな環境問題となった。

 かといって、炭鉱開発を緩めることもできない。

 インドネシアは世界4位、約2・5億人の人口を抱える。石炭や石油、天然ガスなど豊富な天然資源の輸出で外貨を稼ぎ、経済的に成長した。

 国民の生活水準が上昇したことで、国内で利用するエネルギーが増加した。この結果、石炭や石油の輸出余力が落ち込んだ。

 インドネシア政府にとって、環境保全と両立した石炭増産が重要課題だった。着目したのが、石炭層まで坑道(トンネル)で掘り進む「坑内掘り」だった。

 ただ、軟弱な地盤に大規模トンネルを掘る技術は、インドネシアになかった。下手に掘れば、出水や落盤事故を引き起こしかねない。過去に坑内掘りを進めようとしたオーストラリア企業も、うまくいかず撤退した。

 「坑内掘りでの炭鉱開発に協力してほしい」。ABKは、三井松島産業に要請した。

 三井松島産業は池島で、出水の危険性が高い海底に坑道をつくり、石炭を掘った。坑内掘りは手慣れたものだった。

 「うちの技術であれば坑内掘りはできる。インドネシアでの有望な石炭資源発掘は、新たな供給ソースの確保につながる。海外炭鉱事業の大きな柱にもなる」

 三井松島産業の経営陣は、ゴーサインを出した。

 開発対象は、ABKグループが所有するゲルバング・ダヤ・マンディリ(GDM)炭鉱に定めた。すでに露天掘りで石炭を掘り、採掘の限界が近いと思われていた。しかし、ボーリング調査で、地下に3千万トンの埋蔵量を確認した。

 しかも石炭を船で積み出すための施設は、すでに整備されていた。三井松島産業の技術があれば、優良炭鉱として存続することが可能と思われた。

 12年7月、三井松島産業は、ABKの関連会社として発足したGDMの株式30%を取得した。GDM炭鉱産の石炭について、日本向けに販売する権利を得た。

 技術を持つ三井松島産業だからこそ可能な資本提携だった。

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 プロジェクト始動とともに、高本は再び、インドネシア駐在となった。海外炭鉱の操業を技術で支える「MMIコールテック」取締役に就任していた。

 「入社したときは、一生池島だと思ったが、こんなに長くインドネシアにいるとは思わなかった」

 高本は、すっかり現地に溶け込んだ。強い日差しも平気になった。イスラム教徒が多い国らしく、毎朝午前4時、街中のスピーカーから流れるコーランの大音量にも慣れた。

 作業員は全部で130人、高本ら4人以外は、全てインドネシア人だ。

 安全に坑道を掘る。それが高本に課せられた責務だった。坑道を掘る機械は、多くを池島から運んだ。トンネルの入り口をつくり、少しずつ坑道を掘った。

 想像通り、地盤は軟弱だった。

 坑道上部に鉄枠をはめ込んでいたが、その隙間から水が土砂と一緒に流れ落ちてきた。

 「池島で出ていた水と比べれば、たいしたことない。ただ、掘るという行為に、自然がどう反応するか。慎重に見極めよう」

 ボルトを打ち込んで岩盤を固定した。計測器を使い、坑道の天井部の沈み具合を刻々とチェックした。

 作業員の指導も重要な仕事だった。高本は何より「規律」を重視した。効率の向上に加え、安全確保につながる。

 池島での勤務時代、こんなことがあった。

 高本発案で作業内容の手順を変えた。ところが作業員との間で確認を十分にしなかったことから、現場は混乱した。

 「ばかたれ!」。上司から大目玉を食らった。

 「気の緩みは、事故につながる。絶対にあってはならないんだ」。高本が池島で学んだことであり、インドネシアに伝えようとしたことだった。

 高本は、インドネシアに赴任する際、上司から「第2の池島をつくれ」と言われた。誰よりも高本が、坑内掘り技術をインドネシアに定着させる意気込みに燃えていた。

 「この事業が成功すれば、インドネシアは品質のよい石炭を増やすことができる。一緒に働く技術員は、坑内掘りのフロンティアになってほしい。困難を乗り越え、ともに喜ぶ。それが技術者の醍醐味(だいごみ)だ」

 「余人をもって代え難い。インドネシアは高本に任せろ」

 社内ではいつしか、そう評されるようになった。

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 「おお、だいぶ進んできたなあ」「年内には狙った石炭層に、たどり着きそうです」

 2016年8月25日、三井松島産業社長の天野常雄(58)は、GDM炭鉱を視察した。

 むっとする暑さ。ライト付きのヘルメットをかぶり、高本ら技術員の案内で坑道を歩いた。幅5・5メートル、高さ2・8メートルの半円形の坑道は、800メートル先まで伸びていた。

 視察後、天野はABK社長のソフット・チャイディルとミーティングした。

 「市況がよくなっているので、出炭のタイミングを逃さないようにしたいですね」。こう語るソフットに、天野はうなずきながらも慎重さをみせた。

 「採算性も大事ですが、拙速に進めて問題があるといけません。安全性を最優先にやっていきましょう」

 日本企業と進めるインドネシア初の本格的な機械化採炭に、同国政府も注目する。

 14年にはインドネシアのエネルギー・鉱物資源省の鉱物石炭総局長が現地を視察した。「国内は露天掘りが限界で、まもなくよい石炭が採れなくなる。この坑内掘りの手法を、インドネシアに広めていかなければならない」。政府の機関紙は、三井松島リソーシスの社名とともに、坑内掘りを紹介した。日本の、しかも地方企業が紹介されるのは、まれなことだった。

 期待が高いからこそ、天野は気持ちを引き締める。

 「この炭鉱をインドネシアの多くの人が注視している。万が一、事故を起こせば、坑内掘りそのものが広まりにくくなる」

 振り返れば14年、社長のバトンを串間新一郎(65)=現会長=から受け取る際、こう言われた。

 「石炭のビジネスモデルはこれから、どんどん変わっていく。会社が生き残るには、今までのやり方でよいか、見極めなければいけない。だからこそ、石炭が分かる君に社長を任せたい」

 日本で石炭は斜陽産業といわれる。だが、世界のエネルギー事情をみれば、石炭の輝きは薄れていない。

 ABKの社名のように、天野は石炭を、太古の地球からの「贈り物」と考える。この贈り物を手に、世界に目を向けて、事業を展開し、会社の発展につなげようとしている。

 「石炭はおもしろい。まだまだ可能性がある。われわれが存在意義を持てるように、環境変化に対し、会社をしなやかに変化させ、石炭の新しい時代を切り開くんだ」(敬称略)=おわり

 この連載は高瀬真由子が担当しました。