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【九州の礎を築いた群像】三井松島産業編(1)探査

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【九州の礎を築いた群像】
三井松島産業編(1)探査

オーストラリア・クイーンズランド州のミモザ鉱区で進められた石炭の探査作業 オーストラリア・クイーンズランド州のミモザ鉱区で進められた石炭の探査作業

 ■「ゼロから掘ろう!」「おもろいやないか」 豪州の大草原、ヤマを求める

 真っ青な空の下、見渡す限り草原が広がる。オーストラリア(豪州)東部、クイーンズランド州(QLD州)のミモザ鉱区は、州都ブリスベーンから飛行機と車を乗り継ぎ、2時間の場所にある。

 2012年10月、三井松島産業常務の天野常雄(57)=現社長=がこの地に立った。ボーリング調査で地層から引き抜かれた石に見入り、思わず指を伸ばした。

 「黒いな。きれいな色じゃないか」

 黒く輝く石炭だった。

 「いい色ですね。層の厚みはどれくらいでしょうかね」。隣にいた海外業務部長の萩野谷(はぎのや)陽一(57)=現常務=が、大草原を一望した。

 「いつか日本にこの石炭を持って帰るぞ」

 未開発の炭層を見つけ、鉱山として開発する。そして、新たなエネルギー資源として日本に供給する。そんな未来図に、天野の胸は高鳴った。

 三井松島産業が豪州において、石炭探査プロジェクトに乗り出したきっかけは、10年秋だった。

 東京支社にいた天野と萩野谷の元を、ブリスベーンに本社を置く石炭事業会社スクエアグループの役員が訪れた。

 三井松島産業は、豪州東部、ニューサウスウェールズ州(NSW州)にあるリデル炭鉱で石炭を掘り、新日鉄住金など国内の鉄鋼会社や、火力発電所を持つ電力会社に販売する。

 豪州事業を通じ、スクエア社とは普段からよく情報交換していた。

 役員はこう持ちかけた。「石炭開発が期待できる候補地がいくつかあるんです。どうでしょう。探査を一緒にやってみませんか」

 石炭は日本国内でほとんど生産されなくなったが、電気や鉄をつくるのに欠かせない。日本は国内消費の99%を輸入に頼り、中国に次ぐ世界2位(現3位)の石炭輸入国だった。輸入量は年約1億9千万トン、大型タンカー3千隻分にあたる。その8割を豪州とインドネシアに依存する。

 そんな日本の石炭輸入は、厳しい時代を迎えていた。世界的な需要拡大のためだった。

 急速に経済発展を続ける中国が09年ごろ、石炭輸出国から輸入国に変わった。需給のバランスが大きく崩れかけた。需要増による資源ブームを期待し、大量のマネーが世界中の炭鉱、特に操業中や操業間近の炭鉱に流れ込んだ。

 石炭や石油、鉄鉱石などの資源をめぐっては「権益」が重要な意味を持つ。出資や融資を通じて、開発に関与し、その出資比率などに応じて、産出された資源を引き取ったり、配当金を受け取る権利のことだ。

 石炭の場合、すでに開発された鉱山の権益を求め、数百億円規模で投資する。資金回収は、うまくいっても数十年かかる。長期の投資資金や経営能力を必要とする。

 だが、需要拡大に端を発し、資源バブルといってよい状況になった。チャイナマネーなどが鉱山の短期転売も視野に、すでに石炭を産出している「動いているヤマ」に流れ込んだ。価格は億円単位でつり上がっていった。

 三井松島産業も、将来を見据えれば、リデルとは別の炭鉱を手持ちに加える必要があった。しかし、数百億円、数千億円の投資が必要な大きな炭鉱は手が届きにくい。バブルの様相を呈す中では、慌てて買って、高値づかみをするリスクもある。

 三井松島産業は1913(大正2)年、長崎県西海市の離島に誕生した「松島炭鉱」を前身とする。同じ長崎で操業した池島炭鉱が2001(平成13)年に閉山するまで88年間にわたり、良質の石炭を供給し、日本のエネルギーを支えてきた。

 「石炭を祖業とするわが社には、ヤマを目利きできる技術者がいる。石炭を扱う他社と同じやり方ではなく、探査でいいヤマを発掘できないか」

 既存の炭鉱の権益を確保するのではなく、「ゼロ」からヤマを掘ろう。

 天野は決意した。

                 × × ×

 ただ、探査には金が必要だ。1回のボーリング調査だけで約1千万円かかる。石炭層の分布を知るには何十カ所もボーリングをしなければならないが、良質な石炭が出なければ、調査費は無駄に終わる。

 スクエア社の提案に乗って、仮に有望な炭層が出なかった場合、10億円の損失が見込まれた。

 「他の役員の承認が得られるだろうか」

 天野はトップ判断に賭けた。社長の串間新一郎(65)=現会長=に、直接相談した。

 天野はリスクも説明した。串間は最後まで静かに聞き、ニヤッと笑った。

 「おもろいやないか」

 串間は宮崎県出身だが、大阪外国語大(現・大阪大)で学び、外国語に加えて関西弁を身に付けた。大阪出身の天野と話すとき、ふと関西弁が出る。

 串間の反応を見て、天野の顔も緩んだ。

 天野は川鉄商事(現・JFE商事)を経て、三井松島産業の役員に就いた。石炭の魅力を人一倍感じていた。

 川鉄時代、天野は石炭販売を担当した。石炭は数億年から数千万年前に、植物が湖や沼の底に堆積し、地中の熱と圧力を受け、炭素が濃縮されてできる。

 「恐竜より大昔の植物が、自分たちが商売する石炭になっているんだ」。石炭に触れると地球の鼓動を感じた。そんな気がした。

 串間の内諾を得た上で、探査を諮る取締役会が開かれた。説明に海外業務を担当する萩野谷が立った。

 萩野谷は、世界のマーケットの状況を説明した。メーカーの研究開発(R&D)の事例を紹介し、「メーカーはコンスタントに研究開発に投資しています。その中の一つが大きく育つ可能性もあるんです」と訴えた。

 天野も言った。「われわれにとって探査は、メーカーのR&Dに通じる。当たらないと投資は飛ぶかもしれません…。それでも、われわれの能力や技術力を使って次の石炭層を確保しましょう」

 反対意見は出なかった。終了後、役員の一人がこう口にした。

 「いやあ、久々におもしろいもんが出てきたな。わくわくするな」

                 × × ×

 11年5月、スクエア社と契約を結び、探査が始まった。

 候補地は5つだった。このうちまずボーリング調査に着手したのが、QLD州のボイン鉱区だった。

 萩野谷がスクエア社との窓口となった。スクエア社が毎月まとめるリポートに目を通し、事業の進捗(しんちょく)を確認した。

 天野や萩野谷は気をもんだ。黒い石は出てくるが、「石炭」と言えるものではなかったからだ。

 石炭の品質は地中での炭素の濃縮度合いによって決まる。結局、ボイン鉱区は炭鉱開発に向かず、同年8月、この地を断念した。

 初回の探査でいきなり有望地が見つかるとは思っていなかった。それでも、このまま有望地が見つからなければ-。

 「次の鉱区に期待しよう」。天野は自分に言い聞かせた。

 次の候補地は、同じQLD州内のミモザ鉱区だった。10カ所、20カ所とボーリングは続いた。

 同鉱区は南北90キロ、東西50キロの広さがある。1回の調査で石炭が出ても、それが炭層として広がりがあるか分からない。見渡す限りの草原のどの場所に石炭が眠るのか、特定するのは困難だった。

 12年も半ばをすぎたころ、鉱区の南端に、石炭層の広がりがあることが分かってきた。集中してボーリングを打った。

 天野や萩野谷、そして串間も居ても立っていられず、現地に飛んだ。

 集中ボーリングの結果、広がりだけでなく、層に厚みもありそうだった。スクエア社から、「有望」との報告が来た。

 「当たったのか」。天野は心底ほっとした。

 「2回目で当たっちゃたんですか。ついてますね」。萩野谷はこう思った。

 だが、ヤマの本当の価値を判断するには、石炭層の分布など埋蔵状態を調べ、掘り出せる場所を確定する必要がある。

 「ここからは地質屋の腕の見せどころだ」

 三井松島産業には、炭層など地質に詳しい「地質屋」や、採炭機材や掘り方に通じた「採鉱屋」らのエンジニアがいる。

 技術者は腕まくりして、スクエア社から上がってくる調査報告書を待ち構えた。書類に書き込まれたデータから、炭層の分布や厚み、傾斜を分析した。

 石炭は品質によって用途も異なる。発電に使われる一般炭、製鉄に使われる原料炭など、用途が違えば販売価格も異なってくる。

 経営陣は、地質屋の報告を元に、さらなるボーリングを含め、詳細な調査にゴーサインを出した。

 石炭の性状を分析した結果、火力発電向けの一般炭だと判明した。一般炭は東アジアをはじめ、新興国で需要が伸びる。しかもミモザ鉱区は積み出し港から近く、競争力のある炭鉱開発ができると期待された。

 資源量は鉱区の南端だけで1億5400万トンと推定された。日本の年間輸入量に匹敵する。

 報告を聞いた串間はまた、ニヤリと笑った。「いいプロジェクトを発掘したな」

 この事業に、国も注目した。16年5月、炭層のより詳細な調査を目的に、三井松島産業の子会社と経済産業省所管の独立行政法人「石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)」が契約を結んだ。JOGMECは2年間で、総額200万豪ドル(約1億6千万円)の探査費用を負担する。

 炭鉱開発は、優良な石炭層さえあればよい、というものではない。

 開発から数十年にわたる操業期間中の採算を考えなければ、事業として成立しない。石炭価格の下落や、インフレによる操業コストアップなど、さまざまなリスク要因を考慮して、判断する必要がある。

 ミモザ鉱区の操業開始にはさらに、5年かかるか10年かかるか分からない。

 それでも天野と萩野谷が、居酒屋で酌み交わせば、必ずプロジェクトの話になる。

 「炭層の厚みは今はまだ南端だけだが、北の方を調べればもっと、出て来るかもしれないな」

 「早く、結果がでませんかね」

 資源小国の日本は、長期的な視点で炭鉱の探査・開発を進めなければいけない。天野は確信する。

 「今後さらに、各国で需要が高まったときに、日本に資源がこなくなるかもしれない。われわれが石炭を日本に持って行くんだ。安定して供給できる態勢を今のうちに築こう」(敬称略)

                  ◇

 三井松島産業 1913(大正2)年1月創業。石炭の輸入販売や太陽光などのエネルギー事業に加え、介護、衣料品、施設運営受託など多角化を進める。東京証券取引所1部、福岡証券取引所上場。平成28年3月期連結決算の売上高は586億円。従業員はグループ全体で1142人。福岡市中央区大手門1の1の12。

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