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【九州の礎を築いた群像 スターフライヤー編】(4)デザイン 「見た目はクール サービスは温かく」 顧客満足度7年連続ナンバーワン

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【九州の礎を築いた群像 スターフライヤー編】
(4)デザイン 「見た目はクール サービスは温かく」 顧客満足度7年連続ナンバーワン

座席も黒で統一されたスターフライヤーの機内 座席も黒で統一されたスターフライヤーの機内

 「初めて、機体の絵を見たときは『黒なのか!』と驚いた。聞いたこともない。座席もカーペットも真っ黒だ。なんてこった…。でも、今この飛行機を見れば、誰もが素晴らしいと思うだろう」

 2005(平成17)年末、フランス南西部の都市、トゥールーズにある古城の一室に、航空機メーカー、エアバス幹部の声が響いた。

 トゥールーズには同社の本社がある。スターフライヤーが使用する機体「A320」1号機の受領パーティーだった。

 機体全面を黒に塗装した旅客機は、世界でも例がなかった。飛行中に太陽の熱を吸収し、計器に異変を起こしかねないこともあった。だが、最大の理由は、誰もが先入観にとらわれ、思いつかないからだった。

 その常識を打ち破ったスターフライヤーの機体は、塗装などを担ったエアバスだけでなく、高い評価を受けた。

 スターフライヤーの機体やロゴなど一連のデザインは、日本デザイン振興会の「グッドデザイン賞」を受賞した。

 スターフライヤーが黒を採用したきっかけは、北九州市を仲介にした1人のロボットデザイナーとの出会いだった。

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 平成16年秋。就航が1年半後に迫り、慌ただしい堀高明(67)に、北九州市企画政策室長の片山憲一(63)=現北九州エアターミナル社長=が、ある提案をした。

 「北九州はデザインに力を入れています。最先端のとがったデザインで勝負しましょうよ。JR九州の特急『ソニック』は、(工業デザイナーの)水戸岡鋭治さんが手がけて、首都圏でも知られるようになったし、TOTOのトイレもデザインが付加価値になってるんです」

 北九州市は、新たな地元企業となるスターフライヤーの起業を支援しており、片山が担当だった。

 堀は片山の提案に頷いた。機体やロゴ、備品にいたるすべての企業デザインを、1人のデザイナーに任せようと考えた。

 ただ、資金繰りは厳しい。有名デザイナーに何億もの金を出すことはできない。

 市が主宰する工業デザイン講座「北九州デザイン塾」の講師を通じて、ロボットデザイナーの松井龍哉(47)を紹介された。

 松井は32歳で独立した業界の注目株だった。デザインしたロボットは、全日空のCMキャラクターや、宇多田ヒカルの音楽ビデオに採用された。

 松井は快諾した。新たに誕生する航空会社の、あらゆるデザインを一貫して手がけるのは、デザイナーとして新たな挑戦であり、心が躍った。

 松井の意気込みは、堀らの想定を超えた。

 パソコンの前でまさに寝食を忘れて、マウスを握りしめた。海外の1千以上の機体を調べ上げ、デザイン案を作成した。

 「一発勝負だ。これでこけると、デザイナーとしてのキャリアに、大きな傷がつく」

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 1カ月後。松井はデザイン案を披露した。市内にあるスターフライヤー本社の会議室で、数十人の経営陣や社員が固唾をのんでスクリーンを見つめた。

 松井は3つの機体デザインを、順々に映し出した。

 最初は赤や黄、緑、青、オレンジがちりばめられた華やかな柄。次にクリーム色を、茶色の曲線で縁取ったもの。最後に、真っ黒の機体を示した。

 「全ての色を混ぜれば黒になる。究極の色です。企業の『独自性』を訴えるには、言葉だけでは理解されない。どこにもないこの色こそ、ほかにはない機体が作れます」

 堀は迷わず黒を選択した。思い描いていた航空会社像にピッタリだった。

 計器への影響は、熱を吸収しにくい特殊な塗料を使うことで解決しようとした。エアバス技術陣は検査を繰り返し、安全性に問題はない水準に高めた。

 乗客がひざにかける毛布、スリッパ、えんぴつ、いす-。松井は精力的に1千を超えるデザインを仕上げた。

 機体の差別化の方針は決まった。次はサービスの差別化だった。

 堀は、真心のこもった接客で差別化を図ろうと考えた。それまでの大手の客室乗務員の接客に、どこか高圧的な姿勢を感じていたからだった。

 サービスも企業ブランドだ。堀は松井に、「おもてなし」の監修もするよう依頼した。

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 「東京から北九州へは、飛行機で2万円かかりますよね。都内の高級店でフランス料理を食べるときも同じです。同じ金額では、このようなサービスになります」

 平成17年の初め。松井は東京・西麻布のレストランで、スタッフのサービスを示してこう語った。席にはスターフライヤーの客室乗務員らがいた。

 社員は皆、納得いかない様子だった。

 「ここには熟練の経験者もいる。今さらレストランの人に、サービスのイロハを教わることはないだろう」

 視線の先にいる女性店長は、黒の長ズボン姿だった。格好は洗練されていたが、店員や常連客から「おかみさん」と呼ばれ、家庭的な雰囲気に包まれていた。

 これこそ、松井がスターフライヤー社員に、植え付けたいものだった。

 「見た目はクールだが、人のサービスは温かい。デザインとおもてなしの融合を、スターフライヤーの特徴にしたい」

 松井の意思は、徐々に浸透した。客室乗務員は、サービス内容を決めようと、会議を繰り返した。

 先頭に立った一人が、客室サービスグループ長の渕けい子=現・CS推進部担当部長=だった。

 渕は全日空の客室乗務員として、昭和61年の成田-米ワシントン便の初便に搭乗した経験を持つ。ベテラン中のベテランだ。全日空退社後は、客室乗務員を目指す専門学校の非常勤講師を務めていた。

 そんな渕に、堀は「ほかの航空会社と違うからスターフライヤーが存在する意味がある。それを体現するサービスを創ってほしい」と語った。松井も「どんなサービスも、一手間をかけましょう」と依頼した。

 渕は2人の言葉を軸に、機内で提供するサービスを考えた。

 東京-北九州の飛行時間は1時間40分となる。この時間内に、100人以上の乗客の性格や、その日の調子を把握し、それに見合ったサービスを提供したい。

 渕らは出発時のイヤホンの手渡しサービスを思い付いた。搭乗するお客、一人一人に手渡しすれば、客の雰囲気や性格も、ある程度わかるだろう。

 提供する飲み物にもこだわった。大手コーヒーチェーン「タリーズコーヒー」と契約を結び、チョコレートも1個添えるようにした。

 松井や渕が植えたサービスの種は、スターフライヤーの評価を高め、花を咲かせた。

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 とはいえ、航空業界は社員の入れ替わりが激しい。創業時を知る客室乗務員も少なくなった。松井氏のデザイン会社との契約は切れ、堀は退社した。

 渕は、スターフライヤーならではのサービスが続くか懸念した。経営が厳しくなる中で、コーヒーをのぞく一部のドリンクは、コストを切り詰め、提携先の全日空と同じものを使うようになった。

 27年の冬。渕は上司から、客室乗務員のおもてなし指針の変更を促された。

 指針は、就航前に渕が作ったものだ。「仕方ない」とあきらめながら、乗務員の指導教官に相談すると、彼女たちの意見は違った。

 「変更すべきではありません。10年続く、スターフライヤーのサービスの根幹です」

 渕は腹をくくった。

 「創業の時の思いは根付いている。それを引き継いでいこう。それこそがスターフライヤーのDNAなんだ」

 温かいサービスを軸にするのは、経営陣も変わらない。

 27年11月、3代目社長、松石禎己(63)は盾を手に、晴れやかな表彰式の舞台にいた。

 日本版顧客満足度指数(JCSI)の「国内航空会社部門」で、スターフライヤーがナンバーワンに輝いた。しかも7年連続の快挙だった。

 JCSIは、日本生産性本部が中心となって21年度に始まり、顧客満足度に関する国内最大規模の調査といえる。

 松石は「スターフライヤーが力を入れてきたホスピタリティーで、これからもお客に選ばれていくんだ」と胸を張った。(敬称略)