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【かながわ美の手帖】山口蓬春記念館「山口蓬春が愛でた花鳥、その美」

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【かながわ美の手帖】
山口蓬春記念館「山口蓬春が愛でた花鳥、その美」

 ■独自モダニズムで「新日本画」を創造

 相模湾に面した葉山町一色に立つ山口蓬春記念館。文化勲章受章の日本画家、山口蓬春(1893~1971年)の自宅兼アトリエを記念館として平成3年に開館した。洋画家として出発した蓬春は77歳で亡くなるまで新しい日本画を追い求めた。蓬春が描き、集めた花鳥画を紹介する新春展「山口蓬春が愛でた花鳥、その美」が同館で開かれており、その一端を味わうことができる。

 ◆流派超えて

 「君の絵は日本画の材料が合うのではないか」

 東京美術学校(現東京芸術大学)在学中から二科展に入選するなど洋画家として歩み出していた蓬春は、指導教官の助言で日本画科に転科。そこで出会ったのが、同校教授の日本画家、松岡映丘(1881~1938年)だった。在学中から松岡が主宰する「新興大和絵会」同人になり、やまと絵の伝統的技法や古典を研究していく。

 だが、やまと絵の表現方法に限界を感じていた蓬春は昭和5年、日本画家、洋画家、美術記者、批評家の8人で互いに研鑽(けんさん)する場「六潮会」を結成して流派を超えた交流を始め、琳派や中国の宋元画の研究にも精を出す。

 ◆時代に即応

 「日本画の旧(ふる)い型から脱して、時代の要請にぴったりと即応するような新しい形式や様式を自分の創意に基づいて創り出す」

 蓬春は、自著「新日本画の技法」の中で、日本画のあり方をこう述べ、やまと絵の伝統的な表現様式である余白性、象徴性、主線性(輪郭を取ること)から脱却し、新しいフォルムと色彩による「新日本画」を創造していく。

 その一つが、百貨店の三越に依頼されて制作した「都波喜(つばき)」(昭和26年ごろ、紙本着色、37・3×44・0センチ)だ。目に見える外界の現象を自己の内面的世界に照らし合わせ、輪郭を取らずに色彩も実態と異なって描いた。

 「花鳥画はその中に大自然の息が通り、花、鳥を通じての自然風景の要約であり、象徴画である」(「新日本画の技法」)とした蓬春の理想を、ここに見ることができる。

 昭和20年代から始まったこうした「色と形」の追究により、岩絵の具の清澄な色彩は深みを増し、同館副館長の笠(りゅう)理砂(49)が指摘するように、「物に即した描法」となっていく。“蓬春モダニズム”の誕生だった。

 ◆一つの頂点

 昭和36年発表の作品「洩(も)るゝ陽」(紙本着色、額装、49・0×70・0センチ)は、庭先にやってきた小鳥と石、植物を巧みに構成した。石に陰影をもたらすことで情感を漂わせるとともに、写実性にも富む作品にした。

 蓬春モダニズムは、皇居・宮殿の正殿東廊下に納められた1枚の杉戸絵「楓」(昭和43年、258・0×235・8センチ)に結実する。極彩色と金砂子の効果を極めた本作は、西洋画、日本画の概念を超えた日本美術の一つの頂点として輝きを放っている。本展では、4分の1サイズの複製が展示されている。

 本展後期(2月16日~3月21日)には、「士女遊楽図(しじょゆうらくず)」(昭和3~4年)「泰山木(たいさんぼく)」(昭和14年)のほか、蓬春のコレクションから与謝蕪村の「雛画賛(ひながさん)」(18世紀)、菱田春草の「櫻草図屏風(さくらそうずびょうぶ)」(明治43年)も展示される。=敬称略(柏崎幸三)

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 新春展「山口蓬春が愛でた花鳥、その美」は、山口蓬春記念館(葉山町一色2320)で3月21日まで。月曜日休館(祝日の場合は開館、翌日閉館)。午前10時~午後5時。入館料600円(高校生以下は無料)。問い合わせは、同館(電)046・875・6094。