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【戦後70年 東北の記憶】赤ちゃん斡旋事件(下)

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【戦後70年 東北の記憶】
赤ちゃん斡旋事件(下)

 ■多くの子供救った行動

 昭和62年9月、参院本会議で、養子と養父母の間に実の親子並みの強固な関係を認める「特別養子縁組制度」法案が可決された。満場一致だった。

 従来の制度では、戸籍の父母欄には実父母も記載し、「養子」と明記する。これに対し新たな制度では、養父母だけを記載し、続柄も「長男、長女」のみとした。

 医師法に違反したことに対しては批判が出たものの、「赤ちゃんの命を救うために法改正が必要」という菊田昇医師の訴えは、多くの支持を集めた。菊田医師をめぐる訴訟の代理人を務めた佐々木泉弁護士(86)は「菊田医師は大喜びしていた」と振り返る。翌年には、厚生省(当時)の出した業務停止の処分をめぐる訴訟の上告審で敗訴したが、佐々木弁護士は「違法と分かった上で、法改正のために動いた菊田医師の目的は達せられた」と、法廷で闘った意義を強調した。

 ◆世界で認められる

 新しい制度でも、実の母親の戸籍に子供を産んだ事実は残る。菊田医師はその後も「子捨て、子殺しをなくすため、実母の公の戸籍に出産事実不記載を」と訴え続けた。

 一連の活動は世界で認められる。平成3年4月、国連の「世界生命栄誉賞」を受賞。慈善運動に力を尽くしたマザー・テレサも受けた賞だった。

 しかし、その栄誉を本人が感じた日々は長くはなかった。その年の8月、病気のため65歳でこの世を去った。

 佐々木弁護士は、亡くなる直前、入院中の菊田医師を見舞った際、こう語りかけられたという。「不幸な子供の命を救いたいんだ」。最後まで自分の信念を話す姿がそこにはあった。

 制度が施行されて以来、年間300人以上、多いときには1千人を超える子供が特別養子縁組で新たな家族に迎え入れられていった。25年度には474人が特別養子縁組された。

 一方で課題もある。通常の養子縁組と違い、特別養子縁組制度では里親に登録するための研修が義務化されていない。実の親子と同様の強固な関係を認める特別養子縁組では、原則6歳未満の幼い子供と、血縁関係のない大人が法的に親子になり、一度結ぶと離縁できない。このため、どんな子供でも受け入れるという強い気持ちでいないと、後悔することにもなりかねないという。

 ◆普通の幸せを得る

 ただ、この制度で多くの子供たちが救われている。宮城県中央児童相談所は、今年度1件、26年度1件、25年度3件の特別養子縁組を斡旋(あっせん)した。昨年、特別養子縁組を結んだ男児(6)は、生まれた直後から乳児院で育ち、里親に登録していた現在の両親のもとに預けられた。同担当者は「特別養子縁組がこの子にごく普通の親子と変わらない、幸せな生活をあげた」と制度を評価する。

 佐々木弁護士は「1人の医師の行動が、何千何万もの子供を救った」と、当時の新聞のスクラップをめくりながら話した。そこには、子供たちのために奔走する菊田医師と佐々木弁護士が肩を並べて写っていた。(上田直輝)

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 「戦後70年 東北の記憶」は今回で終わりです。