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【戦後70年 東北の記憶】全日空機雫石衝突事故(上) 世界の航空事故史に残る大惨事

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【戦後70年 東北の記憶】
全日空機雫石衝突事故(上) 世界の航空事故史に残る大惨事

 世界の航空機事故史上に残る大惨事が起きたのは、昭和46年7月30日午後2時すぎだった。事故を知る町民は異口同音にいう。

 「雲一つない、天気のいい、暑い日だった」

 岩手県雫石町の上空約8500メートルで、自衛隊機と札幌発羽田行きの全日空機が空中衝突し、旅客機の乗員7人と乗客155人の計162人が犠牲になった。

 自衛隊機は宮城県矢本町(現・東松島市)の航空自衛隊第1航空団松島派遣隊に所属するジェット戦闘機F86F。操縦桿(かん)を握っていたのは訓練生だった。教官機と2機編隊で訓練中に全日空機と空中衝突、ボーイング727型機は空中分解した。自衛隊機の訓練生はパラシュートで脱出した。

 ■20キロ先にも衝突音

 轟音(ごうおん)は東に20キロ以上も離れている盛岡市の中心部にまで鳴り響いた。当初は自衛隊機の単独事故と思われていた。町役場近くの水田で自衛隊機の残骸が発見され、パラシュートで降下する訓練生の姿も町内で確認されていたからだ。ところが、事故から間もなく、自衛隊機と民間旅客機が空中衝突したという衝撃的なテレビニュースが流れた。

 町役場の対策本部は騒然となった。町民の多くから、飛行機の破片らしき無数の金属片がキラキラと光りながら落下していたという目撃情報が寄せられた。午後3時すぎ、飛び込んできた町役場の南東約4キロの岩名目沢(いわなめさわ)で「複数の遺体発見」の報に対策本部は一瞬、凍り付いた。

 奥羽山脈に抱かれた田園風景が広がるのどかな町が一変した瞬間だった。岩名目沢周辺は急峻(きゅうしゅん)な山林地帯だった。汗だくで捜索に当たったのは警察官や消防団員、自衛隊員らだった。その目に飛び込んできたのは凄惨(せいさん)な現実だった。

 「鬱蒼(うっそう)とした林の中で一筋の光がさしている所を目指して行くと、女性の頭が地面に突き刺さって、肩から下が出ていた。先輩と2人で脚を一本ずつつかみ、引き抜いた」。盛岡市内の菜園交番勤務の警察官だった盛岡市の細田敬一危機管理統括監(66)は、当時を振り返る。

 ■猛スピードで落下

 捜索は難航し、作業は深夜に及んだ。地面にたたきつけられた遺体の損傷はひどく、県警の事件概要によると、遺体はほとんど衣服をまとっていなかったと報告されている。猛スピードで落下するうちに衣服がはぎ取られたからだった。

 消防団員だった米沢初美さん(83)も、こう証言する。「腰まで地面に突き刺さった遺体もあった。暗かったから良かった。明るかったら(遺体に)手もかけられなかったかもしれない」

 懸命の捜索の結果、31日午後4時ごろまでに遭難者全員の遺体が収容された。県警が遺体を取り違えて遺族に引き渡すトラブルも発生したが、8月6日までには全ての遺体が肉親のもとに帰った。(土樋靖人)

                   ◇

 ≪昭和46(1971)年≫

 群馬県で8人の女性を暴行殺害した大久保清事件が発生。プロ野球オールスター戦で、阪神の江夏豊投手が9連続三振を奪った。「仮面ライダー」のテレビ放映が始まり、日清食品が「カップヌードル」を発売。小柳ルミ子の「私の城下町」がヒットした。