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【ふるさとを語ろう】ヒト・コミュニケーションズ社長、安井豊明さん つらい練習「黒ジャージー」つかむ

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【ふるさとを語ろう】
ヒト・コミュニケーションズ社長、安井豊明さん つらい練習「黒ジャージー」つかむ

「豊の国かぼす特命大使の拝命がうれしかった」と語る安井氏

 中学生の頃、新日鉄釜石の活躍などでラグビーブームが絶頂期でした。私もこの男らしくて格好いいスポーツにすっかり魅了され、黒いジャージーで全国的に有名な強豪で、進学校でもある地元の大分舞鶴高校に入学しました。同校のラグビー部は全国制覇も果たしたこともあり、人気が高く、同期だけで30~40人が入部しました。ただ、名門であり続けることは、厳しい練習が行われていることの裏返し。ラグビーをしに学校に行くような3年間でした。途中で辞める者も少なくなかったのですが、私は「黒いジャージーを着たい」という一念で耐え抜き、フランカーのポジションで試合に出られるようになりました。

 当時の大分舞鶴は九州では「敵無し」という強さでしたが、それは先輩たちまで。われわれの代は小粒で「谷間の世代」とまで言われ、あまり期待されていませんでした。不安は的中します。3年の春に沖縄で行われた九州大会で、地元のコザ高校に負けたのです。当時の沖縄はラグビー後進県。あり得ない敗戦に大きな衝撃が走りました。

 そこからが本当のスタートでした。夏に大分・由布院で行われた合宿には、全国の大学で活躍するOBが集結し、相当きつい練習をこなしました。失敗に対して、選手が厳しく指摘し合うなど決して緩みはありませんでした。結果、花園の全国大会では決勝まで進み、奈良の天理高校に負けはしましたが、準優勝することができました。仮に春先から期待された世代であったなら、そこまで到達しなかったと思います。

 ラグビーは身体が大きく当たりが強い選手ばかりを集めてもダメ。機能・役割ごとに適材適所で人材を配置し、一つにならなければ強くなれないスポーツです。しかも自己犠牲的要素が強い。

 社会人になったときに一人一人が役割を全うし、「結果的にチーム全体で目的を達成できれば全て良し」といった姿勢で仕事に取り組めたのもラグビーのおかげです。今はできるだけ自分を育ててくれたラグビーに恩返しがしたいという思いから、会社として、全国中学生大会の協賛を行っています。

 高校卒業後は、福岡大に進学しラグビーを続けました。長男だし地元に戻って教員になろうかと思っていましたが、3年の夏休みに米国へ遊びに行って心境が大きく変わりました。何もかもスケールが異なって、「大きなステージで仕事をしたい」と思うようになったのです。

 就職したのは富士銀行(現みずほ銀行)で、まず福岡支店に配属され主に中小企業を担当しました。バブルの真っただ中で仕事は多忙を極めます。その後、東京の支店に転勤した後、本社のマーケティング部門に登用されました。仕事に明け暮れる日々で、ビジネスの基礎を徹底的に学びました。

 転機を迎えたのは35のとき。父が事業をやっていたこともあり、「実業の世界もいいな」との思いを抱くようになり、誘いもあって大手家電量販店に転職したのです。新しい職場では何よりも顧客を大切にする姿勢を学び、その後、MBO(経営陣による自社買収)により現在の人材サービス会社ヒト・コミュニケーションズの社長として、経営に乗り出すこととなりました。

 郷里大分とは現在も事あるごとに関わりを持っていますが、3年ほど前に県出身の経営者のネットワーク組織「大分県若手経営者の会」を設立し、随時集まり情報交換などをしています。また、大分県の“顔”でもある「豊の国かぼす特命大使」を務めています。拝命した際は東京証券取引所に上場したときよりもうれしかったです。

 大分は食材や温泉が豊富です。天候もよく、あらゆるバランスが取れており、ポテンシャルは大。私の心は常に故郷にあります。書籍に「大分(だいぶ)、できるようになった」といった一節があれば「大分のことが書かれている」と勘違いするほどです(笑い)。(伊藤俊祐)

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 次回は立教大学の山口和範副総長が登場する予定です。

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【プロフィル】安井豊明

 やすい・とよみ 大分県立大分舞鶴高校、福岡大卒。昭和63年富士銀行(現みずほ銀行)入行。平成13年に大手家電量販店に入社し、16年ヒト・コミュニケーションズ社長。49歳。大分県出身。