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池田高「蔦寮」の母、キミ子さんしのぶ 葬儀に野球部OBら350人

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池田高「蔦寮」の母、キミ子さんしのぶ 葬儀に野球部OBら350人

 “攻めダルマ”の愛称で呼ばれ、甲子園で春夏通じて3度の優勝を果たした徳島県立池田高校の故蔦文也元監督の妻、キミ子さんの葬儀が5日、同県三好市池田町のひいらぎ会館で営まれた。

 遠くから通う野球部員のために蔦元監督が自宅敷地につくった「蔦寮」で部員らの食事や身の回りの世話など約30年間、母親役を務め、一時は約50人の部員らの世話をしたこともあったキミ子さん。

 先月末に自宅で意識不明の状態となり、三好市内の病院に入院していたが今月3日、脳内出血のため死去した。91歳だった。

 葬儀には野球部OBや保護者ら約350人が参列。会場は昭和57年夏の甲子園で優勝したときのエースだった畠山準さん(横浜DeNAベイスターズ職員)や同校野球部OBらの生花や花輪で埋め尽くされた。

 同57年夏と翌58年春の連覇に貢献した水野雄仁さん(元読売巨人軍)からは「いつまでもお元気で長生きしてくださるものと思っていました。すぐにでも最期のお別れに駆けつけなければならないのですが残念です」との弔電が届いた。

 同61年春の優勝メンバーで横浜大洋(当時)入りした徳島市の松村高明さん(46)は「3年間、手料理の朝食を食べていました。蔦さんが厳しかったので奥さんがフォローしていた感じ」と振り返り、「控え投手でしたが『努力していれば誰かが見てくれている』と声を掛けられたのが忘れられない」とキミ子さんをしのんだ。

 喪主で長男の泰見さん(64)は「お酒が好きな父でしたので苦労したと思いますが、どうしても甲子園に行きたいという父を頑張って支えていました。池田高の野球部にまた甲子園で活躍してほしい。それが母への最大の供養だと思う」と述べた。