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二宮町の徳富蘇峰記念館で「吉田松陰とその大いなる系譜」展

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二宮町の徳富蘇峰記念館で「吉田松陰とその大いなる系譜」展

 明治・大正・昭和期のジャーナリストで歴史家、徳富蘇峰が残した書簡や図書など膨大な資料を管理する「徳富蘇峰記念館」(二宮町)で、吉田松陰の妹、文(ふみ)の波乱の生涯を描くNHK大河ドラマ「花燃ゆ」放映開始に合わせて、蘇峰が収集した松陰の遺品や松陰の門下生らの書簡などを展示する「吉田松陰とその大いなる系譜」展が開かれている。(渡辺浩生)

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 コレクションとして、松陰の真筆とされる書「三余説」を披露。「三余」とは「読書に最も良いとされる3つの時」という意味で、松陰は「獄中にいる私流の三余がある。それは『君父の余恩』『戸隙からの日月の余光』『病身の余力(余命)』である。はかり知れない価値があるものではないか」と記した。

 松陰は安政元(1854)年に下田停泊中のペリー艦隊の旗艦ポーハタン号に赴いて密航を企てたが失敗し、萩・野山の獄に送られた。同館によると、「三余説」はその獄中で考案されたものという。

 松陰が愛用した本名矩方(のりかた)の印譜、松陰自作自筆の詩が刻まれた「吉田松陰拝闕(はいけつ)詩碑」(京都府立図書館内)の原拓本もある。

 書簡は、松陰が松下村塾で育てた伊藤博文、山県有朋、野村靖、松陰のおいで吉田家の嗣子の吉田庫三、それに文が最初に嫁いだ久坂玄瑞と死別後に再婚した楫取素彦(小田村伊之助)らが蘇峰に宛てた14点、さらには松陰に影響を与えた三傑人(横井小楠、佐久間象山、藤田東湖)の書軸など、計35点を展示している。

 蘇峰は「革命の先達」「日本精神の権化」と松陰を敬愛し、その刑死から34年後の明治26年に伝記「吉田松陰」を発刊(明治41年改訂)。松陰門下の政治家らとも関係を深めた。

 今回展示の多くは、伝記執筆の際に蘇峰が収集したもので、乃木希典(陸軍大将)が、蘇峰に松陰の資料を見せるよう、親戚関係にある吉田庫三に頼んでおいたと伝えるはがきも含まれる。

 「松陰やゆかりの人物が今に残した筆跡や息づかいを感じてほしい」と同館学芸員の塩崎信彦さんは話す。「系譜」展は12月20日まで。問い合わせは(電)0463・71・0266。

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【用語解説】吉田松陰

 よしだ・しょういん 文政13~安政6(1830~59)年、長門(現・山口県萩市)出身。幕末期の勤王派志士で思想家・教育者。叔父、玉木文之進が開塾した松下村塾を主宰、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋ら、幕末・維新の原動力となった人材の育成に尽力。後に安政の大獄に連座、江戸伝馬町に入獄し、刑死した。