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【酒と海と空と】(3)若手記者が体験 3年目の佐渡「辛口産経」造り 麹は「上品な和菓子の味」

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【酒と海と空と】
(3)若手記者が体験 3年目の佐渡「辛口産経」造り 麹は「上品な和菓子の味」

酒米に麹菌を振りかける太田記者。後ろで見守るのは杜氏の中野さん(左) 酒米に麹菌を振りかける太田記者。後ろで見守るのは杜氏の中野さん(左)

流刑の島、悲運の帝

 せっかく佐渡に行ったので、島の名所を紹介したい。

 佐渡といえば金の産出地としてのイメージが強いが、流刑地としての歴史を刻んだ島でもある。流刑になった有名な人物としては、日蓮宗の宗祖である日蓮、能を大成した世阿弥などが上げられる。

 前日(7月14日)の午後のことだが、休憩時間に真野御陵(ごりょう)(佐渡市真野)を訪ねてみた。鎌倉時代の悲運の帝、順徳天皇(1197~1242年)のゆかりの場所だ。

 順徳天皇は後鳥羽天皇(1180~1239年)の第3皇子。幼少の頃から聡明(そうめい)だったとされ、歌の才能にも恵まれていたが、鎌倉幕府打倒をもくろんだ承久の乱(1221年)に敗れ、佐渡に流された。

 百人一首の100番目の歌、「ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり」は、順徳天皇が20歳の頃に詠んだと伝えられる。佐渡に流されるよりも前の歌だが、武家の台頭とともに朝廷の権威が衰えていった当時の社会情勢が垣間見える。

 配流後の順徳天皇は約20年もの間、都に帰ることを願いながら46歳で崩御した。真野御陵は天皇が火葬された跡に松と桜を植えて目印とした場所だが、御陵と同格として宮内庁が管理している。

 学校蔵を車で出て、山の方を目指すこと約30分。緑の木々に囲まれた御陵が見えてきた。

 御陵の入り口に立ち、ふと後ろを振り返ると、遠くに陽の光で輝く真野湾が見える。白い砂利を踏みしめながら奥に向かうと、柵の向こう側に鳥居がたたずんでいた。厳粛な雰囲気に包まれた御陵の中は、まるで時間が止まっているかのようだ。

 生きて都の土を踏むことができなかった順徳天皇は、あの海をどのような気持ちで眺めていたのだろうか…。歴史に翻弄された天皇の幾星霜に思いをはせながら、鳥居に向かってそっと手を合わせた。(太田泰)

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