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【昭和天皇の87年】アジアを奮い立たせた勝利 「太陽の国が、明るい光を与えた」

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【昭和天皇の87年】
アジアを奮い立たせた勝利 「太陽の国が、明るい光を与えた」

画=井田智康 画=井田智康

 ロシア皇帝ニコライ2世がアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋(あっせん)を受け入れ、日露講和のポーツマス条約が調印されたのは、日本海海戦からほぼ3カ月後の9月5日である。

 近代戦で初めて、有色人種の国家が白色人種の大国を独力で打ち破ったのだ。日本の勝利は、欧米列強の植民地だったアジア諸地域の人々に、独立への勇気を与えたといえるだろう。

 インドネシアの高校歴史教科書(2000年版)には、こう書かれている。

 「日本のロシアに対する勝利は、アジア民族に政治的自覚をもたらすとともに、アジア諸民族を西洋帝国主義に抵抗すべく立ち上がらせ、各地で独立を取り戻すための民族運動が起きた。(中略)太陽の国が、いまだ闇の中にいたアジアに明るい光を与えたのである」(※3)

 一方、欧米列強では、フランスやドイツなどで日本を脅威とする黄禍論が高まった。ことに日露の仲介役を務めたアメリカは、日本に肩入れすることで満州利権に食い込む思惑もあったが、あてが外れたため次第に日本をライバル視する傾向が強くなる。講和から36年後、セオドア・ルーズベルトと同じファミリーネームをもつ米大統領が日本に強烈なしっぺ返しをするのだから、歴史は皮肉なものだ。

 日本国内でも、勝利の余韻は長く続かなかった。講和条約でロシアから賠償金を取れなかったことに国民は猛反発し、暴徒が内務大臣官邸などを襲う日比谷焼打事件が発生。巨額の債務の穴埋めと国民の批判をかわすため、政府は以後、対外強硬路線に傾くようになる。

 日露戦争の勝利により、日本は列強の一員として歩み出した。しかしそれは、新たな国際摩擦への一歩でもあった。

 裕仁親王、4歳の夏である--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

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