産経ニュース

【昭和天皇の87年】アジアを奮い立たせた勝利 「太陽の国が、明るい光を与えた」

ニュース プレミアム

記事詳細

更新

【昭和天皇の87年】
アジアを奮い立たせた勝利 「太陽の国が、明るい光を与えた」

画=井田智康 画=井田智康

 2日間にわたる海戦で、バルチック艦隊の戦闘艦29隻のうち22隻が撃沈、自沈、捕獲された。ウラジオストクに逃げ込んだのは巡洋艦1隻、駆逐艦2隻だけだ。対する連合艦隊の損失は水雷艇3隻が沈没したに過ぎない。

 ほぼ半年前の37年12月、東郷は参内し、明治天皇の前でこう明言していた。

 「敵艦隊に対しては、誓ってこれを撃滅し、宸襟(しんきん)を安んじ奉ります」

 東郷はその約束を、見事に果たしたのである。

× × ×

 日本海海戦の勝利に、日本中が沸き立ったのは言うまでもない。海戦の様子は裕仁親王(のちの昭和天皇)の耳にも届き、小さな胸を高ぶらせた。

 海戦の翌日、明治38年5月29日、《午後、(裕仁親王は)二十七・二十八両日に対馬沖において行われたロシア艦隊との海戦の捷報(しょうほう)を東宮職御用掛桑野鋭よりお聞きになる。夜、海戦の戦況につき、侍医補原田貞夫よりお聞きになる》(昭和天皇実録1巻83頁)

 日露戦争中、静岡県沼津の故川村純義別邸や神奈川県箱根の富士屋ホテル別館に滞在することの多かった裕仁親王は、弟の雍仁(やすひと)親王(のちの秩父宮)と、海に山にのびのびと過ごしていたが、お付きの者たちが語り聞かせてくれる戦争の話に、子供らしい関心を抱いていたようだ。

 同年10月12日に靖国神社へ行った際、同社には英霊が祀られていると教えられ、「この中に広瀬中佐もいるの?」と尋ねたと、昭和天皇実録に記されている(※2)。

 避暑先の栃木県日光で近在の子供たちが戦争ごっこをして遊んでいるのを、雍仁親王と一緒に見つめていたこともあった。遊びの輪に、加わりたかったのだろうか--。

× × ×

続きを読む

「ニュース」のランキング