産経ニュース

【昭和天皇の87年】いざ決戦へ、錨を上げた連合艦隊 「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

ニュース プレミアム

記事詳細

更新

【昭和天皇の87年】
いざ決戦へ、錨を上げた連合艦隊 「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

画=井田智康 画=井田智康

 ウラジオストクへ向かう敵艦隊の予想航路は3つ、日本海を突っ切る対馬海峡か、太平洋側に回る津軽海峡か、さらに遠回りする宗谷海峡かである。常識的に考えれば最短コースの対馬海峡だろう。東郷もそう考え、朝鮮半島南端の鎮海湾に連合艦隊を集結、対馬海峡への警戒を強めていた。敵艦隊の速度から判断して、5月20~21日には海峡付近に姿を見せるはずだ。

 しかし、21日が過ぎても警戒網に引っかからなかった。敵艦隊はどこにいて、どの海峡を通ろうとしているのか-。

 最北の宗谷海峡は霧が深く、暗礁もあるので除外していい。一方、津軽海峡の可能性は残されている。もしも津軽海峡を通れば、対馬海峡で待つ連合艦隊は迎撃に間に合わない。先任参謀の秋山真之はじめ幕僚の多くは、次第に津軽海峡説に傾いていった。

 このとき東郷のみは、対馬海峡と信じて毫も動揺しなかった-と、一部に伝えられている。だが、軍令部編集の海戦史などを読み解くと、さすがの東郷にも迷いがあったようだ。

 25日、ついに東郷は軍令部に打電する。

 「明日正午迄(まで)当方面(対馬海峡)ニ敵影ヲ見サレハ当隊(連合艦隊)ハ明夕刻ヨリ北海方面ニ移動ス」

 これより前、東郷は隷下の各司令官に「連合艦隊ハ会敵ノ目的ヲ以テ今ヨリ北海方面ニ移動セントス」との密封命令を発していた(※1)。それを26日正午に開封する、というのである。

 この命令が実行されたなら、歴史は変わっていたかもしれない。しかし、運はまだ東郷にあった。

続きを読む

「ニュース」のランキング