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【昭和天皇の87年】いざ決戦へ、錨を上げた連合艦隊 「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

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【昭和天皇の87年】
いざ決戦へ、錨を上げた連合艦隊 「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

画=井田智康 画=井田智康

 のちに東郷の秘書的存在となる名文家、小笠原長生の筆を借りよう。

 「思へば半年の久しき、強敵と戦ひ、寒暑と戦ひ、風雪と戦ひ、此れ(東郷)は艦艇十余隻の亡失と、許多(あまた)の勇士が忠死とを偲びて髭髯(しぜん)にはかに雪を増せば、彼れ(乃木)は二愛子を君国に捧げ、肉弾的決戦に幾万の壮夫が、健気の戦没を憶(おも)ふて頬肉ひとしほ寒し、両将互に相助け相励まして、今や漸く其の目的を達せんとし、此処(ここ)に握手の機会に到達し得たる其の感慨果たして如何(いかん)ぞや。あまりに壮にして烈なるの光景に打たれ、幕僚いずれも頭を低(た)れて黙然たりしと云ふ」

× × ×

 旅順艦隊を打ち破った東郷の次なる敵は、ロシアから回航されてくるバルチック艦隊(ロジェストヴェンスキー司令長官)だ。同艦隊のウラジオストク入港を許せば日本のシーレーンが脅かされる。逆に全滅すれば日露戦争の勝利に直結する。

 10月15日、バルト海の軍港リバウを出港した同艦隊は翌38年4月14日、ベトナムのカムラン湾に到着し、ロシア第3太平洋艦隊と合流。1カ月にわたり同湾に錨泊(びょうはく)した後、戦艦8隻を含む計50隻の大艦隊となって極東へ船首を向けた。

 この情報を日本側が入手したのは5月17日だ。連合艦隊が内地に帰還して5カ月余り、旗艦三笠をはじめ全艦とも整備を終え、万全の迎撃態勢である。東郷の司令部内は、時は来たりと勇み立った。

 ところがここから、司令部内に不安と疑心が立ちこめる。カムラン湾を出港したバルチック艦隊が、“行方不明”になってしまったからだ。

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