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【昭和天皇の87年】傷だらけの地上決戦 勝利の報に、幼い皇子も万歳した

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【昭和天皇の87年】
傷だらけの地上決戦 勝利の報に、幼い皇子も万歳した

画=井田智康 画=井田智康

 それでも、勝利は勝利である。「奉天占領」の一報に、日本中が歓喜熱狂したのは言うまでもない。全国各地で祝勝会が開かれ、都市部はもちろん農村部でも万歳の声が響き渡った。

 その中には、幼い裕仁親王の声もあった。

 東宮侍従長の「木戸孝正日記」によれば、3月26日、沼津で祝勝会が開かれ、市民らが故川村純義別邸の裏にある海岸に集合、整列して万歳を唱えた。この時、裕仁親王と雍仁(やすひと)親王も裏門前に出て、両手を挙げて一緒に万歳したという。

 「一同敬礼を為したる時ハ(両親王も)御帽ニ手を挙ケさせられ、御受ケ被遊(あそばされ)、人民一同歓喜」と木戸は日記に書く。国民の熱気が、両親王の暮らしぶりにも影響を与えていた様子がうかがえよう。

 同年4月14日、4歳になる直前の裕仁親王は雍仁親王とともに沼津を離れて上京し、東宮御所と庭続きの皇孫仮御殿に移った。この時も裕仁親王は、新橋駅で出迎えた宮中関係者や居合わせた外国公使らに挙手の敬礼をし、周囲を感心させたと木戸の日記に書かれている。

 当時の東京は、戦況などを伝える号外が連日のように出されていた。この時期に保母として雇われた足立孝(のちの鈴木貫太郎首相夫人)が言う。

 「御殿は外が近いもんですから、『号外、号外』チリン、チリン、チリンと歩く(のが聞こえる)んです。すると皇孫さんが『鈴を出せ』とおっしゃるんです。皮のヒモに鈴の付いたのを差し上げると、紙を持って、『号外、号外』と御殿中ぐるぐる回っておられる。だれか来ると『号外』って言ってお渡しになる」

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