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【昭和天皇の87年】緒戦は圧勝したものの… 乃木を追い詰める国内の楽観ムード

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【昭和天皇の87年】
緒戦は圧勝したものの… 乃木を追い詰める国内の楽観ムード

画=井田智康 画=井田智康

 東宮医務顧問のドイツ人医師ベルツも日記に書いている。

 「日本人が旅順陥落を必至と見る自信たるや、まったく恐ろしいほどである。東京の全市街では軒なみに、あるいは道路越しに、支柱を建てまわしたり、針金を張りめぐらして、(祝賀用の)ちょうちんや旗をつるすようにしてある。(中略)旅順はなんと言っても絶対確実に陥落するわけではないことなど、誰の念頭にもないらしい」

 そもそも参謀本部が旅順要塞をみくびっていた。

 約4万2千人のロシア軍守備隊は、旅順の山々にコンクリートで固めた永久堡塁(ほうるい)や多数の臨時堡塁、鉄条網をめぐらし、難攻不落の近代要塞を構築していた。ところが参謀本部は敵情を全く把握できず、第3軍編成前、「防備は支那時代の旧式野塁に多少の散兵壕を増築せるのみ。永久築城なしと思う」といった程度の認識であった。

 こうした銃後の楽観が、乃木の作戦を狂わせることにもなる。

× × ×

 第3軍は7月26日、旅順要塞の外側にある前進陣地を攻め、30日までに営城子、鞍子嶺(あんしれい)、三四八高地、老座山、大鉄匠山、王家甸子(でんし)、鳳凰(ほうおう)山などを占領、旅順要塞を包囲した。しかし予想外に損害が多く、一連の戦闘の死傷者はロシア側2062人に対し日本側4094人(※2)。第3軍参謀の井上幾太郎がのちに語ったところでは、この戦闘で「ロシア軍が防御に於いては極めて頑強に抵抗するものだということをよく味わった」という。

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