産経ニュース

【昭和天皇の87年】宿命の母子別離 皇子の養育は薩摩藩士に託された

ニュース プレミアム

記事詳細

更新

【昭和天皇の87年】
宿命の母子別離 皇子の養育は薩摩藩士に託された

画=井田智康 画=井田智康

 だが、明治天皇は軍人などの手で厳しく育てたかったらしく、九条家が候補に上った形跡はない。内親王が誕生した場合は皇太子妃が自ら育てるべきだとする案もあったが、初の出産であり、東宮女官にも子育ての経験者がいないという理由で見送られた。

 未来の天皇の養育を任せるのだ。慎重に人選が進められた結果、宮中の重臣らが白羽の矢を立てたのは、旧薩摩藩士の枢密顧問官、川村純義だった。

 天保7(1836)年生まれの当時65歳。海軍大輔(次官)や海軍卿(大臣)を歴任し、勝海舟とともに帝国海軍の礎を築いた維新の元勲である。妥協を知らない実直な人柄で、明治天皇の信任が篤かった。

 加えて嘉仁皇太子と川村とはしばしば鴨猟などを楽しむ仲だ。嘉仁皇太子はこの人選を喜び、さっそく川村を昼食に招いて言った。

 「決して遠慮するに及ばぬ。川村の孫と思ひて万事育(やしな)へ」

 皇太子直々の依頼である。尊皇の念の篤い川村に、首を横に振る選択肢はない。裕仁親王の命名式が行われた5月5日、川村は国民新聞に、こんな所信を述べている。

 「日本も既に世界の列に入りて国際社会の一員たる以上は子女の教養も世界的ならざるべからず。特に後日、此の一国に君臨し給ふべき皇孫の御教養に関しては深く此点(このてん)を心掛けざるべからず」

 川村の気概がうかがえよう。

× × ×

続きを読む

「ニュース」のランキング