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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(22)まだまだある北の「日本遺産」 一企業がつくった興南工場

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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(22)まだまだある北の「日本遺産」 一企業がつくった興南工場

巨大な煙突が見える興南工場 巨大な煙突が見える興南工場

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 日窒(にっちつ)コンツェルンの野口遵(したがう)(1873~1944年)が昭和2年6月、朝鮮東海岸の興南に工場の建設を始めた頃、同地は20、30の家屋が点在する寒村だった。野口はここに化学肥料、金属、燃料、火薬、宝石などによる東洋一の化学コンビナートを建設。従業員約4万5千人、家族らを含めた総人口約18万人の近代都市を造り上げる。

 しかも、短期間でやり遂げねばならない理由があった。やはり、野口が進めた朝鮮北部の水力発電所群の大電力を消費するためには「セット」になる大工場群が不可欠となる。電力はためておくことができない。使い道がなければ“宝の持ち腐れ”になってしまうからだ。野口の回想だ。

 《赴戦江の発電所(昭和4年末第一期完工)が送電を始めるまでには何としてもここに工場を完成しなければならない。道路や鉄道の工事から始めなければならなかったのだが、冬の寒さの格別な北鮮で、昼夜兼行の大奮闘を続けたのである。昭和2年、工を起こしてから、わずか2年8カ月で…硫安の製造を始めることができた》(『今日を築くまで』から)

 ほぼ一私企業が造り上げた興南の近代都市ぶりを紹介してみたい。工場・住宅地などの敷地面積は、五百数十万坪。そこに、多数の従業員を住まわせる社宅、病院、学校、警察署、郵便局、図書館、運動・娯楽施設、供給所(スーパーマーケット)を造った。施設は、れんが造りで完全電化、水洗トイレ、蒸気によるスチーム暖房、朝鮮人従業員の社宅はオンドル(床暖房)を備えていた。

 「洋風の広い社宅はスチーム暖房で冬もポカポカ、お風呂には、いつも熱いお湯が流れ、電気炊飯器でご飯を炊いた。内地(日本)よりも、はるかにモダンで、いい生活でした」と元従業員の妻は懐かしむ。

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