産経ニュース

【昭和天皇の87年】玉音が厳かに告げた終戦 その日、列島は涙に包まれた

ニュース プレミアム

記事詳細

更新

【昭和天皇の87年】
玉音が厳かに告げた終戦 その日、列島は涙に包まれた

画=筑紫直弘 画=筑紫直弘

 「太陽の光は少しもかはらず、透明に強く田と畑の面と木々とを照し、白い雲は静かに浮び、家々からは炊煙がのぼつてゐる。それなのに、戦は敗れたのだ。何の異変も自然におこらないのが信ぜられない」(詩人、伊東靜雄)

 「足元の畳に、大きな音をたてて、私の涙が落ちて行つた。私など或る意味に於て、最も不逞(ふてい)なる臣民の一人である。その私にして斯(か)くの如し」(作家、徳川夢声)

 もっとも、誰もが涙に暮れたのではない。

 「菅原氏曰(いわ)く君知らずや今日正午ラヂオの放送、突如日米戦争停止の趣を公表したりと。恰(あたか)も好し。日の暮るゝ比、三門祠畔に住する大熊氏の媼(おうな)、鶏肉葡萄酒を持ち来れり。一同平和克複の祝宴を張る」(作家、永井荷風)

 「(駅のプラットホームで)初めてきく天皇の声は、雑音だらけで聴き取り難かった。それが終戦を告げていることだけはわかったが、まわりの連中はイラ立っていた。突然、僕の背中の方で赤ん坊の泣き声がきこえ、頭の真上から照りつける真夏の太陽が堪(たま)らなく暑くなってきた。重大放送はまだ続いていたが、母親は赤ん坊を抱えて電車に乗った。僕も、それにならった」(作家、安岡章太郎)

× × ×

 一方、栃木県奥日光のホテルの一室では、学習院の制服姿の少年が一人、ラジオの前に正座し、両手の拳を握りしめながら、玉音の一言一句に耳を傾けていた--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

続きを読む

関連ニュース

「ニュース」のランキング