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【昭和天皇の87年】タトヘ逆臣トナリテモ… 陸相に“決起”迫る強硬派将校

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【昭和天皇の87年】
タトヘ逆臣トナリテモ… 陸相に“決起”迫る強硬派将校

画=筑紫直弘 画=筑紫直弘

 阿南は昭和4年から8年にかけ、侍従武官として昭和天皇に仕えた。敬愛の念は誰よりも厚い。

 その自分が、昭和天皇の意思に反すると知りながら、クーデターの先頭に立つのか-。

 秘書官として側にいた林は、この頃の阿南が「どうも西郷さんのようにかつがれそうだ」とつぶやくのを聞いている(※1)。

 林によれば阿南は、いったん竹下らを退室させた後、計画に参画した荒尾興功(おきかつ)軍事課長を呼び、クーデターに訴えても国民の協力を得られないと、否定的な意見をほのめかしたという。

 一方、竹下らは阿南の心中をこう受け止めた。

 「大臣ハ容易ニ同ズル色ナカリシモ、『西郷南州ノ心境ガヨク分カル』、『自分ノ命ハ君等ニ差シ上ゲル』等ノ言アリ」

 まさしく阿南は西郷隆盛のように苦悩し、葛藤し、逡巡(しゅんじゅん)していた。そして翌朝、決心が持てぬまま行動に出る。

× × ×

 以下、昭和天皇実録が書く。

 《(14日)午前七時、陸相は軍事課長とともに参謀総長に対し、本日午前十時より開催予定の御前会議の際、隣室まで押しかけ、侍従武官をして天皇を御居間に案内せしめ、他者を監禁せんとするクーデター計画の決行につき同意を求めるが、参謀総長は宮城内に兵を動かすことを非難し、全面的に反対する》(34巻43頁)

 この記述からも明らかなよう、阿南は竹下らのクーデター計画に、いったんは乗りかかった。しかし参謀総長の梅津美治郎に反対され、むしろほっとしたのではないか。

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