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【昭和天皇の87年】玉音放送を謀略と判断 壮絶な死闘の末、要塞は静寂に包まれた

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【昭和天皇の87年】
玉音放送を謀略と判断 壮絶な死闘の末、要塞は静寂に包まれた

画=筑紫直弘 画=筑紫直弘

 守備隊長代理の砲兵隊長、大木正大尉は、最期のときと覚悟を決めたようである。19日夜、主陣地に爆薬を仕掛け、約300人の避難邦人もろとも自爆した。

 主陣地近くの砲塔陣地でソ連軍の猛攻をしのいでいた砲兵第2中隊も19日の戦闘で壊滅的打撃を受け、中隊長の川崎巌中尉が上半身やけどの重傷を負った。川崎は要塞の戦況を上級部隊に伝えようと、残存兵力をまとめて21日に陣地を脱出。自身のやけどのため部下の足手まといになることを気遣いながら、最後は単身、ソ連軍のいる方向へ走り去った。

 主陣地西方の虎嘯(こしょう)山陣地を守備する歩兵第2中隊は26日まで戦い続け、生き残りの約30人がソ連軍部隊に向けて最後の突撃を敢行、玉砕した。

 ここに虎頭要塞は、ついに陥落したのである。

 翌27日、それまで途切れることのなかった砲声がピタリとやみ、要塞周辺は深い静寂に包まれた。

 第15国境守備隊約1400人のうち生存者は約60人。このほか平頂山陣地に避難していた在留邦人約150人が脱出したが、29日以降に遭遇したソ連軍の無差別攻撃を受け、大多数が死亡したと伝えられる-。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

【参考・引用文献】

○防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 関東軍(二)関特演・終戦時の対ソ戦』(朝雲新聞社)

○平田文市編『ソ満国境 虎頭要塞の戦記』(全国虎頭会事務局)

八路軍 中国共産党直系の国民革命軍第八路軍の略称で、中国人民解放軍の前身のひとつ。華北方面で活動し、日中戦争(支那事変)ではゲリラ的に日本軍の輸送部隊や小部隊を攻撃した。1940(昭和15)年には日本軍と満州国軍を相手に大攻勢(百団大戦)を仕掛け、結果的に撃退されたものの、日本軍側から弱兵とみられていたそれまでの評価を改めさせたとされる。日本の敗戦後はソ連軍から武器(関東軍からの摂取品)の供与を受けたほか、関東軍将兵らも取り込んで戦力が飛躍的に増強。国共内戦で勝利する原動力となった

生存者の逃避行 虎頭要塞で守備隊に保護された在留邦人のうち、平頂山陣地を脱出した約150人の逃避行は過酷を極めた。ソ連軍に見つかれば無差別で殺戮されるため、在留邦人は日本兵と行動することをのぞみ、協議の末、泣き声などで発見されやすい乳幼児28人が日本兵自身の手で殺害されたという。逃避行は1カ月におよび、生存者はわずか41人(男3人、女38人)。20人ほどいた日本兵は全員が戦死もしくは行方不明となった。一方、上半身やけどの川崎巌中尉が指揮する砲兵第2中隊は、下士官兵12人が生還した。ただし川崎自身は脱出行動中、やけどの傷口が悪化するなどしたため「おれにかまわず先に行ってくれ」と言い、負傷した両腕をつったままソ連軍の方へ去っていった。部下を救おうと自決的行動に及んだとみられる。

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