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【昭和天皇の87年】玉音放送を謀略と判断 壮絶な死闘の末、要塞は静寂に包まれた

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【昭和天皇の87年】
玉音放送を謀略と判断 壮絶な死闘の末、要塞は静寂に包まれた

画=筑紫直弘 画=筑紫直弘

 話を戦況に戻そう。

 20年8月15日正午、西脇不在の虎頭要塞は、高度に機械化されたソ連軍2万人の完全包囲下にあった。第5軍司令部との通信は途絶し、戦闘を続ける将兵に終戦の玉音放送は伝わっていない。

 17日、ソ連軍の捕虜となった日本人5人が白旗を掲げて猛虎山の主陣地に訪れた。終戦を伝え、降伏するよう勧告したのである。

 だが、守備隊幹部は玉音放送を謀略と判断。5人のうち1人を斬殺し、4人を追い返した。守備隊長がいないため、冷静な判断力を欠いていたのだろう。

 降伏勧告を拒絶されたソ連軍は18日、ロケット弾を連続発射するカチューシャ砲などを使ってさらなる猛攻を仕掛けてきた。

 要塞の守備隊は、残っていた15センチ加農(カノン)砲に火薬だけを詰めて発射する「薬筒射撃」でソ連軍部隊の波状攻撃を撃退。要塞の周囲は「敵の死体でうずもれるほどであった」と、守備隊兵士が書き残している。

 しかし、それが限界だった。

 「明けて十九日はソ軍の先制攻撃に見舞われた。昨日大活躍した十五加(15センチ加農砲)に対し報復が行われた。イマン飛行場を飛び立った小型機が、上空に飛来し次々と爆弾を落していく。そのうちに大型戦車が前後からやってき、(中略)十五加の砲門孔などに徹底的破壊攻撃を行ったうえ、狙撃兵が入口付近に殺到して友軍との間に手榴弾(しゅりゅうだん)戦が展開される。薬筒射撃を続行したが、もう昨日ほど敵は慌てなくなった」…

× × ×

 いまや守備隊は要塞の出入口を固めて中に立てこもるしかなく、ソ連軍は外からガソリンを流し込んであぶり出しにかかった。

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