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【昭和天皇の87年】熾烈を極めたソ連軍の砲撃 関東軍は完全に不意を突かれた

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【昭和天皇の87年】
熾烈を極めたソ連軍の砲撃 関東軍は完全に不意を突かれた

画=筑紫直弘 画=筑紫直弘

ソ連侵攻 日本とソ連は昭和16(1941)年4月、相互の領土保全や不可侵などを定めた日ソ中立条約(有効期間5年)を締結した。しかしソ連は20年4月、日本が求めていた同条約の延長を拒否した上、同年8月9日午前零時、有効期間が残っていた同条約を破り、突如として満州に侵攻した。関東軍もソ連の侵攻を予想していたが、早くても秋以降になると楽観しており、戦術的にも戦略的にも急襲を受ける形になった

関東軍 日露戦争後、日本の租借地となった中国・遼東(りょうとう)半島南端の関東州と南満州鉄道(満鉄)の権益保護のため、中国東北部に駐屯した日本陸軍の部隊。のちに満州全域を管轄し、ソ連軍と対峙(たいじ)するため精鋭が集められた。しかし南方戦線が悪化した昭和18年以降、精鋭部隊が次々と引き抜かれて弱体化。終戦前には、ソ連の侵攻兵力が兵員157万人、火砲2万6100門、戦車・自走砲5500両、航空機3400機だったのに対し、関東軍は兵員70万人ながら3割強は補充兵で、火砲1000門、戦車200両、航空機200機にすぎなかった。

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