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【赤字のお仕事】取材後記(3) 学問と清流(下) 近代化への助走 世襲を原則としない“自由な世界”

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【赤字のお仕事】
取材後記(3) 学問と清流(下) 近代化への助走 世襲を原則としない“自由な世界”

市川清流が岩瀬忠震と出会った可能性がある吉祥寺「旃檀林」。岩瀬は講師として教壇に立ったのだろう。山門に掛かる額が当時をしのばせる=東京都文京区本駒込(平成29年6月、小松勉撮影) 市川清流が岩瀬忠震と出会った可能性がある吉祥寺「旃檀林」。岩瀬は講師として教壇に立ったのだろう。山門に掛かる額が当時をしのばせる=東京都文京区本駒込(平成29年6月、小松勉撮影)

 この『赤字のお仕事』では、平成25年3月掲載の「黒船前夜の“運命的”な出会い」で市川清流と岩瀬忠震(ただなり)の出会いを推論した。清流と岩瀬を結び付ける確かな文献は見つけられなかったが、幕末の激動期に清流が岩瀬の従者となり、外国との交渉状況を逐一書き留めるなど活動したことは間違いない。2人の出会いにどのような歴史的背景が働いていたのか--連載を進めるごとに私の興味は募った。清流の後年まで続く、外国語の翻訳文を通じた新しい日本語との“格闘”が、この時期から始まったと思えるからである。

 清流は幕末維新期で数少ない洋行経験者の一人だったが、外国語を話したり書き留めたりすることはできなかった。ただ、洋学に造詣の深い人々が身近に多かった。

 主(あるじ)だった岩瀬忠震は外国奉行という幕府の要職にあり、岩瀬自身も外国語を学んでいた。洋行をお膳立てした大槻磐渓は漢学者だったが、西洋砲術の免許皆伝を受けるなど洋学に通じていた。明治政府で上司となった箕作麟祥は若い頃に漢学と蘭学を修め、維新後は英仏独の各語を駆使し西洋式法整備の第一人者となった。遣欧使節の見聞記を介して在日英国公使館の通訳官、アーネスト・サトウと懇意になったことも大きかった。

 清流は仕事上の関わりから、彼ら洋学の知識人を通じて外国語の知識や海外の制度・習慣などを学び深めた“実務派”であった。

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