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【坂東武士の系譜・第2部プロローグ】「飛躍の時代」-那須野巻狩 幕府の権威誇示した軍事演習

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【坂東武士の系譜・第2部プロローグ】
「飛躍の時代」-那須野巻狩 幕府の権威誇示した軍事演習

那須野巻狩JR那須塩原駅前に展示されてる「巻狩鍋」大将鍋=栃木県那須塩原市大原間西 那須野巻狩JR那須塩原駅前に展示されてる「巻狩鍋」大将鍋=栃木県那須塩原市大原間西

 防戦に当たったのは九州など西国の武士。東国武士の活躍は少ない。目立つのは、六波羅軍総大将に任じられた16歳の若武者、宇都宮貞綱。弘安の役で山陽・山陰の6万人の大軍を率いたが、九州到着前に、暴風雨の打撃を受けたモンゴル軍は撤退していた。

 元寇後も国内は大きく揺らぐ。元寇の対応に奔走した執権・北条時宗は弘安の役の3年後、34歳の若さで死去。その翌年、1285(弘安8)年には霜月騒動で有力御家人・安達泰盛が滅ぼされる。北条氏の執事である内管領・平頼綱と対立していたが、先制攻撃に屈した。評定衆で政務に参画する有力御家人、宇都宮景綱も泰盛と縁戚関係があり、失脚した。

 時宗の死から3カ月後に自刃したのが、足利家時だ。一族が霜月騒動に連座したが、その前年の自刃は時宗への殉死とされる。なぜ殉死までして北条氏への忠誠を示さねばならなかったのか。

 元寇という大きな国難を迎え、源氏嫡流の征夷大将軍を待望する「源氏将軍観」が注目される。鎌倉幕府は3代将軍・実朝で頼朝の直系が絶え、4代以降は摂関家、皇族から将軍を迎えた。足利氏は頼朝と同じ河内源氏の一族。「血筋、実力から足利氏が将軍にふさわしい」との待望論は一方で、野心を疑われかねない。家時の自刃は、猜疑心(さいぎしん)から子孫を守る意図があったのかもしれない。

 また、家時の自刃は、「七代の孫に生まれ変わり、天下を取るべし」と書かれた源義家の置文(遺言状)も有名。「七代の孫」が家時だが、天下取りは実現できず、「三代のうちに」と祈願。孫の足利尊氏が実現させた。

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