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【坂東武士の系譜・第2部プロローグ】「飛躍の時代」-那須野巻狩 幕府の権威誇示した軍事演習

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【坂東武士の系譜・第2部プロローグ】
「飛躍の時代」-那須野巻狩 幕府の権威誇示した軍事演習

那須野巻狩JR那須塩原駅前に展示されてる「巻狩鍋」大将鍋=栃木県那須塩原市大原間西 那須野巻狩JR那須塩原駅前に展示されてる「巻狩鍋」大将鍋=栃木県那須塩原市大原間西

 江田さんは「大きな意味を持つのが論功行賞だ」と指摘する。東国武士が西国の守護・地頭に任命され、警察権・軍事力を確保。勢力を広げ、飛躍の足掛かりとなる。上皇側の公家、武士から没収した所領約3千カ所に新たに地頭を任命。東国武士が各地に地盤を持ち、発展する基盤となった。

 下野の御家人の筆頭格、小山一族では小山朝政が鎌倉に残り、長男、朝長が東山道大将軍の一人として活躍した。朝政は播磨守護の地位を得た。従軍した朝政の弟、長沼宗政は摂津(大阪)と淡路(兵庫・淡路島)守護に、同、結城朝光も評定衆の一員など幕府要職となる。宇都宮頼綱は鎌倉守備部隊だったが、その功績で与えられた伊予(愛媛)の守護職は代々受け継がれた。頼綱の次男、横田頼業(よりなり)も「承久軍(いくさ)物語」でその活躍が称賛されており、伊予の守護に就いたことも分かっている。

 権力闘争、苛烈なサバイバルゲームを生き抜いた東国武士は西国にも足場を築き、武士の力が公家を凌駕(りょうが)する時代を迎える。

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 鎌倉時代中期、モンゴル帝国が日本を攻めてきた。中国で「元」を建国、シルクロードの中央アジアからヨーロッパまで席巻した大帝国が九州北部へ侵攻した。文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の2度にわたり、「元寇」「蒙古(もうこ)襲来」と呼ばれてきた国難だ。大船団で襲来したモンゴル軍だが、上陸戦は意外と攻めあぐね、撤退したり、海上で停滞したりしていたところに台風の暴風雨に遭って大打撃を受け、日本侵攻を諦めた。

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