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俳人、正岡子規の写真はなぜ横顔なのか? 有名な肖像の真相に迫る

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俳人、正岡子規の写真はなぜ横顔なのか? 有名な肖像の真相に迫る

正岡子規の肖像写真は、ほぼこの左向き横顔のものが使われる 正岡子規の肖像写真は、ほぼこの左向き横顔のものが使われる

正面を向いた写真もある

 正面を向いた子規の写真も複数残っている。松山市立子規記念博物館によると、学生服姿や野球のユニフォーム姿の写真などが残されているという。

 正岡子規。横顔の人、というだけのイメージという人がいるとしたら、それはもったいない。

 <春や昔十五万石の城下哉(かな)>など残した句には独特の明るさがあり、味わい深い。一方、食事から病気の苦しさ、便通の記録まで幅広く、赤裸々に記した最晩年の日記「仰臥(ぎょうが)漫録」は、短文投稿サイト「ツイッター」でのつぶやきを読むようで実に興味深い。

 作家の夏目漱石(1867~1916年)とも仲が良く、「漱石」という号は、そもそも子規が使っていたペンネームの1つを譲ったものだといわれる。

 今年は子規の生誕150年に当たる。節目の秋に、子規の残した句や、歌論「歌よみに与ふる書」、随筆集「病牀(びょうしょう)六尺」などの著書に触れてみるのはいかがだろう。(文化部 本間英士)

正岡子規 慶応3(1867)年、伊予・松山生まれ。本名は正岡常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)、のちに升(のぼる)。帝国大在学中から句作に親しみ、新聞「日本」の記者を務める一方、文芸活動も実施。俳句や短歌の革新運動に携わったが、結核や脊椎カリエスに苦しみ、明治35(1902)年死去。代表的な句に<柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺>などがある。大の野球好きで、幼名の升(のぼる)にちなんだ「野球(のぼーる)」という雅号も使用した。好物は柿と菓子パン。

 子規が自画像などを描き込んだ「歳旦帳」は、9月30日まで東京・根岸の子規庵(東京都台東区根岸2の5の11)で展示されている。

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