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【追悼・上田利治さん(下)】悲願の打倒巨人果たした1976年日本シリーズ マージャンも飲酒も許して

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【追悼・上田利治さん(下)】
悲願の打倒巨人果たした1976年日本シリーズ マージャンも飲酒も許して

日本シリーズで悲願の打倒巨人を果たし、阪急ナインに胴上げされる上田利治さん=1976年11月2日、後楽園球場 日本シリーズで悲願の打倒巨人を果たし、阪急ナインに胴上げされる上田利治さん=1976年11月2日、後楽園球場

 実は阪急はライトの投球時のくせを徹底的に分析していた。「セットポジションでグラブの先端が上向きなら直球、横になっていれば変化球と分かっていた」と上田さん。森本は本塁打したボールについて「真ん中スライダー」(1976年11月3日付産経新聞)と証言しており、ライトのグラブの先端は横向きだったことになる。

 「うちはキャンプの時から、各打者が球種を絞った打撃練習をしていたからね。タイミングが合えば強く打てた」と上田さん。当時の阪急というチームが、いかにしたたかであったかを物語るエピソードだった。

 阪急がシリーズ6度目の対戦でついに打倒巨人を成し遂げ、日本一となった瞬間、上田さんの胸に去来したのは「この場に西本さんがいてくれたら」。悲願を果たせぬまま、チームを去った前監督への思いだったという。(運動部 三浦馨)

 ■上田利治(うえだ・としはる) 1937年1月18日、徳島県生まれ。右投げ右打ち。徳島・海南高から関大に進み、捕手で村山実(阪神)とバッテリーを組んで、リーグV4度。卒業後の59年広島入団。3年間で引退し、62年から広島、阪急のコーチを歴任し、74年に阪急監督に就任。75年から3年連続で日本一に導いた。78年に退任したが、81年から阪急、オリックスを10年間率い、95年から5年間日本ハムを指揮した。監督20年で1322勝1136敗116分け。リーグ優勝5度、日本一を3度。2003年に野球殿堂入り。

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