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【坂東武士の系譜(22)】宇都宮朝綱 頼朝の信頼厚い神官領主

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【坂東武士の系譜(22)】
宇都宮朝綱 頼朝の信頼厚い神官領主

「下野国史」に描かれた宇都宮朝綱像。地蔵院所蔵の像を模写した 「下野国史」に描かれた宇都宮朝綱像。地蔵院所蔵の像を模写した

 宇都宮市中心部にある宇都宮二荒山(ふたあらやま)神社(宇都宮市馬場通り)の大きな鳥居をくぐって長い石段を上りきると、眼下に繁華街を見下ろすことができ、かつて、この神社のトップが地域のトップだったことを実感できる。下野国で最も格式が高い「下野国一宮(いちのみや)」。地名の由来として「いちのみや」が「うつのみや」となまったとする説は多くの人が支持している。

 この神社は宇都宮という都市の出発点であり、生みの親。宇都宮大明神と呼ばれた平安時代末期、宇都宮には多くの勢力が競合していた。奥州への最前線となる軍事拠点であり、奥州の物資が集積する東国有数の大都市だった。

 この地で22代500年繁栄したのが宇都宮氏。宇都宮朝綱は初代・宗円から数えて3代目だが、事実上の初代とする見方もできる。2代目・八田宗綱までは宇都宮氏を名乗っておらず、宇都宮の支配権を確立したのは朝綱だ。

 平安時代末期には中原氏系、源氏系の複数の宇都宮氏が存在したとされる。九州・豊前を本拠とした宇都宮氏は中原氏系。さまざまな勢力が宇都宮の支配権を狙う中、後発組だった八田氏系の朝綱が最終勝者となった。

 県立博物館(宇都宮市睦町)の江田郁夫学芸部長は「藤原摂関家の名家として京との強いつながりがあり、何より重要なのは源頼朝との関係だ」と指摘する。頼朝から宇都宮明神社務職を認められ、宗教的権威を得て他家と差を付けた。宇都宮明神の社務を統括する「宇都宮検校(けんぎょう)」の地位だ。

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