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【坂東武士の系譜(21)】八田宗綱 常陸平氏にスカウトされた京武者

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【坂東武士の系譜(21)】
八田宗綱 常陸平氏にスカウトされた京武者

小貝川=茨城県筑西市 小貝川=茨城県筑西市

 宇都宮市は1世帯当たりギョーザ購入額(総務省家計調査)が3年連続2位となり、ライバル・浜松市の後塵(こうじん)を拝しているが、「ギョーザのまち」のブランドは揺るがない。全国的に知られるようになったのは四半世紀前だが、その起源は宇都宮が軍都だったことと深く関わる。陸軍第14師団が駐屯し、終戦後、中国からの帰還兵が現地で覚えたギョーザを広めた。

 1千年前も宇都宮は軍都だった。緩衝地帯の那須地域を挟み、奥州計略の前線基地であり、交通の要衝。砂金や高級馬など奥州の富が集積する。多くの武家集団が権益を求めて集まってきた。

 この軍都・宇都宮で武家集団を束ねたのは後発組の宇都宮氏だ。初代・宗円(1043?~1111年)は前九年合戦で朝敵調伏を祈●(=示へんに寿の旧字体)(きとう)した功績があるが、茨城大の高橋修教授は2代・八田宗綱との血縁関係は疑わしいとみている。宗綱が宇都宮氏を名乗ったと確認できる史料はなく、「この時点では宇都宮進出を果たしていないはずだ」。宇都宮氏を名乗るのは3代・朝綱(ともつな)(1122~1204年)から。宗綱は八田姓だった。

 高橋さんは、京出身の宗綱が東国進出拠点としたのは現在の茨城県筑西市北部だったと推定する。常陸・新治郡小栗御厨と伊佐郡の境で、小貝川西岸に「八田」、東岸に「八田ノ原」の地名も残る。常陸国府(同県石岡市)から筑波山南麓に沿った道を経て宇都宮に向かうルート上、小貝川を渡る地点で町場が形成されていた。既に周辺を領有していた在地勢力が競って町場に館を構えた。近隣領主の共生、競合の場であった。

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