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【満州文化物語(50完)】満州をアメリカにしたかった 鮎川義介の見果てぬ夢

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【満州文化物語(50完)】
満州をアメリカにしたかった 鮎川義介の見果てぬ夢

 昭和10年代初めに満州で権勢を誇った5人の男を称して「2キ3スケ」と呼んだ。2キは東條英機(関東軍参謀長、後に首相)、星野直樹(満州国総務長官)。3スケは岸信介(のぶすけ)(同総務庁次長、戦後、首相)、松岡洋右(ようすけ)(満鉄総裁、後に外相)、そして、鮎川義介(よしすけ)(満洲重工業開発《満業》総裁)である。

 誰が名付けたか、そこには「黒幕」「揶揄(やゆ)」といったネガティブなニュアンスも込められていただろう。

 5人は終戦後、いずれも戦犯容疑に問われ、「巣鴨プリズン」で獄中生活を送る。さらに言えば3スケは皆、長州人であり、縁戚関係で繋(つな)がっていたのは偶然だけではない。彼らの濃厚な人間関係の中で満州のバランス・オブ・パワーが激変してゆくからだ。

 「大連(満鉄)」イデオロギーから「新京(関東軍・満州国官僚)」イデオロギーへの変換というべき “主役の交代”が始まるのは関東軍が起こした満州事変(昭和6年9月)、それに続く満州国の建国(7年3月)以降のことだ。

 やがて軍部は満鉄の監督権も握り、満州は戦争準備態勢へ組み込まれてゆく。内地からは「革新官僚」と呼ばれた岸(商工省出身)や星野(大蔵省)ら実力官僚が続々と海を渡り、満州国の役人に就任した。

 彼らは、満鉄改組問題と呼ばれた大改革によって、初期から日本の満州経営の中核だった満鉄を“解体”して重工業部門や地方行政(土木、教育、衛生)部門を切り離し、主に鉄道と撫順炭礦(たんこう)、調査部門などに特化してしまう。

 そして、満鉄に代わって、国家統制色の強い「満州産業開発五カ年計画」(昭和12年~)を担わせる男を呼ぶ。それが、12年12月、満業総裁に就任した鮎川であった。

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