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【月刊正論3月号】沖縄・翁長雄志知事が李克強首相にした驚きの媚中発言とは… 朝鮮半島問題研究家・元通産省技官 安部南牛

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【月刊正論3月号】
沖縄・翁長雄志知事が李克強首相にした驚きの媚中発言とは… 朝鮮半島問題研究家・元通産省技官 安部南牛

沖縄県名護市辺野古沿岸部で海上の本体工事が本格化したことを受け、記者の質問に答える沖縄県の翁長雄志知事=2月7日午後、沖縄県庁 沖縄県名護市辺野古沿岸部で海上の本体工事が本格化したことを受け、記者の質問に答える沖縄県の翁長雄志知事=2月7日午後、沖縄県庁

 

 秀吉の野望を阻止できたのは琉球王朝から貢納される硫黄に負うところが大きかった明だが、その火薬の原料・硫黄の供給地である火山島が島津氏に領有されると、明の軍事力は低下していき、ついには明王朝は滅亡、漢族を支配下に置いた清王朝が成立する。  

 硫黄を産出しない琉球など清はお呼びでなかったが、島津藩の命令で琉球は清の冊封体制に入る。唐物(絹・漢方薬材など)を島津藩が欲したのである。今度は島津藩が清の必要とする物産を仕立てて、琉球経由で輸出入を行った。これがいわゆる「進貢貿易」であった。清の要望する物産は琉球に産出しなかったので、島津藩の指示下で琉球は貿易した。その結果、琉球に対する島津藩の影響するところが大きく響き、実質的に琉球は清の冊封体制から外れて日本化していく。それは幕末に琉球を訪れた外国人には、日本の一部だと認識させるに十分だった。その事情は、本誌昨年11月号の惠隆之介氏「ペリー文書発掘スクープ!」論文に示されている。  

 実質的に冊封体制から外れたのは、琉球に清の欲する物がなかったからだ。だから、同じく「冊封体制」に入ったからといっても、明と清では大きく内容が異なる。明は琉球王朝へ冊封を求めたが、清の場合は島津藩の指示に従って入ったのであった。     

 そこで次の翁長雄志知事の発言が気掛かりとなる。 「福建からは500名、600名が琉球に渡ってきて帰化し、たくさんの技術と文化を伝えた。福州市内には志半ばで亡くなった琉球人の墓がある。それを地元の人々が今日までずっと管理している。当時、琉球人が宿舎に使用していた建物も残っている」

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