産経ニュース

【北方領土 屈辱の交渉史(4)】「歯舞、色丹の2島返す」揺さぶるソ連 窮地の重光葵を待っていたのは… 米国の恫喝「4島返還でないと沖縄返さない」 

ニュース プレミアム

記事詳細

更新

【北方領土 屈辱の交渉史(4)】
「歯舞、色丹の2島返す」揺さぶるソ連 窮地の重光葵を待っていたのは… 米国の恫喝「4島返還でないと沖縄返さない」 

北方領土・歯舞諸島 北方領土・歯舞諸島

握りつぶされた機密

 日本は昭和27(1952)年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約により主権を回復し、国際社会への復帰を果たしたが、調印を拒んだソ連とは国交回復していなかった。

 日本が国連に加盟するにはソ連の同意が不可欠。しかもシベリアには「戦犯」とされた日本兵ら2千人ほどが抑留され強制労働に従事していた。鳩山にとってソ連との国交回復は喫緊の課題だったのだ。

 一方、ソ連では政変が起きていた。独裁者のヨシフ・スターリンが1953(昭和28)年3月に死去し、共産党第1書記に就任したニキータ・フルシチョフが権力を掌握しつつあった。フルシチョフは米ソ対決路線と決別し、平和共存路線に転換、日本との関係改善にも前向きだった。ドムニツキー書簡はその意思表示だった。

 鳩山はソ連との国交回復交渉に踏み切った。

 交渉は昭和30(1955)年6月3日、ロンドンのソ連大使館で始まった。日本側全権は外務次官や駐英大使を務めた衆院議員の松本俊一。ソ連側全権は元駐日大使のヤコブ・マリクだった。

 交渉は北方領土問題をめぐって難航したものの、まもなく転機が訪れた。

 「歯舞、色丹を日本側に引き渡してもよい」

 8月5日の公式会談後、在英日本大使館の庭内でお茶を飲みながらマリクは松本に唐突にこう打診した。9日の公式会談でソ連側は正式に歯舞群島と色丹島の2島返還を提示した。

続きを読む

関連ニュース

【北方領土 屈辱の交渉史(1)】12・15長門会談で歴史的決着なるか? その前に幾重もの罠が… 合意阻むプーチン「取り巻き」

「ニュース」のランキング