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【生前退位】明治の元勲・伊藤博文はなぜ譲位容認案を一蹴したのか? 「本条削除すべし!」 明治天皇に燻る不満「朕は辞表は出されず」

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【生前退位】
明治の元勲・伊藤博文はなぜ譲位容認案を一蹴したのか? 「本条削除すべし!」 明治天皇に燻る不満「朕は辞表は出されず」

1月2日の新年一般参賀に集まった人たちに手を振られる天皇、皇后両陛下と皇族方。「生前退位」の議論は今後の皇室のあり方を大きく変えることになるかもしれない=皇居(長尾みなみ撮影) 1月2日の新年一般参賀に集まった人たちに手を振られる天皇、皇后両陛下と皇族方。「生前退位」の議論は今後の皇室のあり方を大きく変えることになるかもしれない=皇居(長尾みなみ撮影)

 明治20(1887)年3月20日、東京は前日から晴天が続いていた。午前10時半、初代首相だった伊藤博文(1841~1909年)は高輪に持つ別邸の一室で、法制官僚で宮内省図書頭(ずしょのかみ)の井上毅(こわし)(1844~95年)と、公家出身で臨時帝室制度取調局総裁の柳原(やなぎわら)前光(さきみつ)(1850~94年)らと向き合った。

 大日本帝国憲法を制定し、立憲君主制の近代国家になることを目指していた明治政府は、慣習と伝統によって長年守られてきた皇室制度も近代法制として明文化する必要に迫られていた。伊藤は皇室典範策定に向けて大方針を示すべく、井上が宮内省案などをたたき台に策定した皇室典範原案をじっくりと読み込んだ。

 原案では第12条で譲位に関する規定を盛り込み、終身在位は正統だとしながらも、天皇が身体や精神に重い疾患を抱えた場合、例外として譲位を容認していた。この条文を見た伊藤は即時に異を唱えた。

 「不治の重患を抱えていても摂政を置けばよい。譲位の事例は過去に確かにあったが、それは仏教の弊害によるものだ。陛下が罪を犯してはならないのと同様、その地位を退くべきではない。本条削除すべし」

 井上は食い下がった。「退位を望む王の在位は国益を損なう」とするスイス出身の法学者が唱える譲位容認論まで引用して説得を試みたが、伊藤は「一学者の私見にすぎないではないか」と一蹴した。

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