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【検証・文革半世紀 第2部(7)完】著名作曲家の馬思聡に「草を食え」 日本人になりすまし決死の脱出も

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【検証・文革半世紀 第2部(7)完】
著名作曲家の馬思聡に「草を食え」 日本人になりすまし決死の脱出も

天安門に掲げられた毛沢東の肖像画の近くで警備する武装警察隊員=5月、北京(共同) 天安門に掲げられた毛沢東の肖像画の近くで警備する武装警察隊員=5月、北京(共同)

 中国の文化大革命(文革)の時代、海外に逃亡する道を選んだ人々がいた。公式統計はないが、数十万人は下らないと推測する研究者がいる。捕まれば死刑になることは覚悟の上で、自由な世界を求めた。

 中国を代表する作曲家でバイオリン奏者の馬思聡(1912~87年)は、音楽修業のため11歳のときフランスに渡り、パリ音楽院などで学んだ。帰国後、「揺籃(ようらん)曲」「チベット音詩」などの名作を発表した。49年の新中国成立後、中央音楽学院の初代院長に任命されたが、文革開始と同時に悪夢が始まった。

 「価値を創造しない音楽家は、労働人民の血を吸って生きている」と紅衛兵にののしられ、批判大会で「吸血鬼」と書かれたプラカードを首にかけられた。学校の庭で草むしりをさせられていたとき、「名字が馬だから」と草を食べるよう強要されたりもした。

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 67年1月、馬は妻子と広東省から香港への密航船に乗った。ブローカーに支払った額は、当時の中国人労働者の生涯賃金を超える5万香港ドル(現在のレートで約66万円)。検問が甘くなる豪雨の深夜を選んで出発し、香港政府の管轄水域に入ったことを確認すると、胸に着けていた毛沢東バッジを剥がして海に投げ捨てたという。

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