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【朝鮮大学校 60年の闇(中)】美濃部亮吉都知事が「援護射撃」 慎重論押し切り学校認可 金日成氏への“手土産”

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【朝鮮大学校 60年の闇(中)】
美濃部亮吉都知事が「援護射撃」 慎重論押し切り学校認可 金日成氏への“手土産”

「朝鮮大学設立審議会」で答申を受け取る美濃部亮吉東京都知事(左)=昭和43年 「朝鮮大学設立審議会」で答申を受け取る美濃部亮吉東京都知事(左)=昭和43年

 「日本のビジネスマンの方ですか」

 昭和47(1972)年春、北朝鮮の平壌中央郵便局。日本から送付された新聞を受け取りに来た共産党機関紙「赤旗」の平壌特派員、萩原遼(79)=当時=は、愛くるしい笑顔が印象的な女性から突然、声をかけられた。

 見れば近くに50人ほどの男女の若者がいる。女性は萩原を貿易会社の駐在員と勘違いしたらしい。

 「いや、新聞社の特派員です。あなたたちも日本から来たのですか」

 朝鮮大学校の在校生約200人が、首相だった金日成の同年の生誕60年を盛り上げるため、北朝鮮が進めた帰国事業に応じて北朝鮮に渡っていたことは知っていた。彼女らが、その在校生たちだったのだ。

 「日本にいる母、家族への手紙をみんなで出しに来たのです」

 会話は5分で終わった。再会を模索したが、彼らの消息はつかめなかった。

 34年12月に始まった北朝鮮への帰国事業には「地上の楽園」といううたい文句に誘われて9万人超の在日朝鮮人らが参加した。

 ところが、実際は食事に事欠いたり、強制収容所に収監されたりする人が相次ぐ。惨状が知れ渡ると、参加者も減っていった。萩原は、同大の在校生が帰国事業の不振を糊塗する“貢ぎ物”としてかき集められたとして「前途ある若者に本当に惨いことをしたものだ」と述懐する。

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