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【番頭の時代】第4部・永田町のキーマン(3) 「後藤田五訓」官僚の省益戒め 後藤田正晴元官房長官

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【番頭の時代】
第4部・永田町のキーマン(3) 「後藤田五訓」官僚の省益戒め 後藤田正晴元官房長官

 約1万3千人が噴火による被災の危険にさらされるなか、首相官邸は膠着(こうちゃく)状態に陥りかけていた。

 昭和61年11月21日、東京都・伊豆大島の三原山で大規模な噴火が発生し、溶岩流は島民と観光客が密集する市街地に迫っていた。関係省庁の局長が官邸に集まり対応策を話し合ったが、なかなか結論が出ない。

 「対策本部の名称をどうするか」「自衛隊を派遣すれば誰が責任を取るのか」-。大規模噴火はこの日午後4時15分に起きたが、夜から始まった会議では、およそ40分間も小田原評定が続いていた。

 時計の針が午後8時に近づいたころ、会議の出席者が水を打ったように黙った。同席していた官房長官、後藤田正晴がしびれを切らし、口を開いたのだ。後藤田の指示は、わずか3つだった。

 「島民は今日中に全員避難」「責任は全部俺が取る」「君たち、頼むよ」

 会議は即座に終了し、出席者はそれぞれの省庁に飛び散った。返す刀で後藤田は電話をかけまくる。東京都知事の鈴木俊一には「島民を収容するため東京中の体育館を全部空けてくれ」と依頼し、防衛庁幹部には「自衛隊の船を使え」と命じた。

 最後まで島に残っていた大島町職員らが退避したのは日付が変わった22日午前5時過ぎ。海上保安庁の巡視船艇、伊豆大島に航路を持つ東海汽船、漁船、自衛隊の艦艇など総動員で空前の大規模輸送が完了した。

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