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【東日本歴史事件簿】三菱ケ原の美人死体(下)被害者と元俳優の意外な接点

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【東日本歴史事件簿】
三菱ケ原の美人死体(下)被害者と元俳優の意外な接点

三菱ケ原で刺殺体で発見された渡辺つや(時事新報・明治43年11月12日付)

 現在の東京・丸の内一帯の10万余坪は、かつて岩崎弥太郎の弟、岩崎弥之助率いる「三菱社」が国から払い下げを受けた土地で、明治時代には「三菱ケ原」と呼ばれていた。明治43年11月11日早朝、この三菱ケ原の現在の東京駅近くで、当時19歳の女性の惨殺体が発見された事件は、その後、犯人の特定に至らず、大正時代には多くの人の記憶から消えていた。

 被害者は、秋田県雄勝郡湯沢町の土田春治の次女。当時は、東京市神田区旭町、渡辺宗七の養女となっていたお艶(つや)。深夜、宗七方から刑事をかたる男に連れ出され、翌朝、三菱ケ原で遺体で発見された。

 迷宮入りかと思われていた事件が急転したのは10年後、大正9年7月21日のこと。同月1日に、強窃盗犯の容疑者として警視庁によって逮捕された下谷区二長町、元俳優、渡辺乙松(41)がとうとう自白したのだ。

浅草では女性3人を焼き殺そうと

 乙松は犯行当時、被害者お艶の実妹と知り合い、お艶の家庭の内情に通じ、お艶の内縁の夫、木下忠正が警視庁に引致されたことも知った。

 これはチャンスと、刑事をかたってお艶と連れだし、芝区露月町のそば屋「紀ノ國屋」で誘惑したが達せず、その後に三菱ケ原に連れていって暴行を加えた上に絞殺した。犯行後、乙松は吉原で一夜を明かし、市内の某所で強盗を働いている。

 さらに12月5日夜には、浅草区千束町の銘酒店「金田屋」で遊んだが、女がそっけなかったとして、怒って女3人を2階の6畳間に縛り付け、石油をかけて放火。逮捕をしようとした警察官と短刀でわたりあった末、押さえられた。殺人未遂罪で懲役15年の判決を受け、大正8年8月減刑により出獄していた。

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