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【戦後70年~昭和20年夏(7)】樺太に残された日本人女性 ソ連兵の恐怖に震え…過酷な日々、帰国信じ半世紀

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【戦後70年~昭和20年夏(7)】
樺太に残された日本人女性 ソ連兵の恐怖に震え…過酷な日々、帰国信じ半世紀

 色丹島では26年12月、「南クリール地区中央病院色丹分院」が開業した。デジタルマンモグラフィーなど最新医療設備が並び、ロシアの全病院で病歴や投薬情報を共有するシステムも導入された。同島のクラボザヴォツク水産加工場もスケトウダラを加工・冷凍する最新の生産ラインを備えた。他にも小中学校などの建設ラッシュが続く。

 10歳まで国後島で暮らした大塚誠之助(80)=札幌市在住=はこう語る。

 「70年という時は長すぎる。ロシア人が生活の根を張り、昔の面影が消えた島に高齢の私らは今さら移住できない。せめて生きている間に自由に往来できるようになれば…」

× × × 

 昭和20年8月15日、北方四島の居住者1万7635人は米軍の空襲を一度も受けることもなく終戦を迎えた。まさか島を追われることになるとは夢にも思わなかったはずだ。

 ところが、18日、ソ連第2極東方面軍8千人超が、千島列島北端の占守(しゅむしゅ)島に侵攻した。陸軍第91師団2万3千人が応戦し、23日の武装解除まで日本兵600人、ソ連兵3千人の死者を出す激戦が続いた。南樺太にもソ連第2極東方面軍が11日に侵攻し、陸軍第88師団と激突した。

 もし両師団が応戦していなければ、北海道北半分はソ連に占領されていただろう。第33代米大統領のハリー・トルーマンが、ソ連共産党書記長のヨシフ・スターリンに「北海道の占領は認めない」と通告したのは8月18日だったからだ。

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