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【戦後70年~昭和20年夏(7)】樺太に残された日本人女性 ソ連兵の恐怖に震え…過酷な日々、帰国信じ半世紀

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【戦後70年~昭和20年夏(7)】
樺太に残された日本人女性 ソ連兵の恐怖に震え…過酷な日々、帰国信じ半世紀

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 サハリンは日本人妻にとってますます住みづらくなった。朝鮮人は男女問わず「日本のせいで故郷に帰れなくなった」と日本人妻をなじった。ソ連当局の監視も厳しかった。

 耐えられず朝鮮名に改名する日本人妻も多かったが、近藤は本名を通した。「いつか日本に帰る」と心に決めていたからだ。

 唯一の慰めが、ラジオから流れる日本の歌謡曲だった。美空ひばり、三橋美智也-。樺太で生まれ育った近藤は歌詞の日本の地名にはピンとこなかったが、歌を聞く度に「私は日本人なんだ」と勇気づけられた。

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 日本に一時帰国できたのは平成2年5月。千歳空港に降り立つと弟が出迎えてくれた。42年ぶりの再会だった。

 近藤が末娘一家とともに日本に永住帰国したのは平成12年10月、終戦から55年がたっていた。今も幸せを感じているが、ふとこう思うこともある。

 「私が知っている樺太での日本とはどこか違う。日本は戦後、大切なものをなくしてしまったんじゃないか。樺太のことも忘れられていくのかな…」

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 北方領土・色丹(しこたん)島は、標高412メートルの斜古丹(しゃこたん)山など3つの山が丘陵地と入り江を織りなす美しい島だった。島の中心集落・斜古丹(ロシア名・マロークリリスク)からぬかるんだ山道を車で1時間余り。日本人墓地は、イネモシリと呼ばれる海を見渡せる丘の上にあった。

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