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【戦後70年~昭和20年夏(7)】樺太に残された日本人女性 ソ連兵の恐怖に震え…過酷な日々、帰国信じ半世紀

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【戦後70年~昭和20年夏(7)】
樺太に残された日本人女性 ソ連兵の恐怖に震え…過酷な日々、帰国信じ半世紀

 同日、引き揚げ者を乗せ、北海道・小樽に向かっていた小笠原丸、第二新興丸、泰東丸の3隻が国籍不明の潜水艦の攻撃を受け、第二新興丸を除く2隻が沈没、1700人以上が死亡した。犠牲者の大半は女性や子供、老人だった。

 ソ連はこの事件に関して沈黙を守ったが、ソ連崩壊後、海軍記録などからソ連太平洋艦隊の潜水艦L-12、19が付近海域で船舶3隻を攻撃したことが判明している。この事件を受け、引き揚げ事業は中断され、近藤ら大勢の日本人が南樺太に留め置かれた。

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 サハリンに名を変えた南樺太は無法地帯となった。

 ソ連兵は傍若無人だった。短機関銃を構えて民家に押し入っては時計や万年筆、鏡など貴重品を手当たり次第に略奪したが、黙って見ているしかなかった。

 強姦(ごうかん)も日常茶飯事だった。近藤ら若い女性は髪を短く切り、作業服姿で男のふりをして日中を過ごし、押し入れか屋根裏で就寝した。ソ連兵が家に押し入ると押し入れで息を潜めた。

 そこで若い女性が選んだのは、朝鮮人との結婚だった。少なくない女性が「強姦されるよりも嫁に行った方がいい」と思っていたからだ。近藤も23年5月に朝鮮人と結婚した。

 同年10月、親代わりだった叔父夫婦や弟の帰国が決まった。叔父らは「一緒に帰ろう」と勧めてくれたが、夫が帰国対象にならないことから南樺太にとどまった。同じような境遇の日本人妻は数多くいた。

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