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【戦後70年~昭和20年夏(7)】樺太に残された日本人女性 ソ連兵の恐怖に震え…過酷な日々、帰国信じ半世紀

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【戦後70年~昭和20年夏(7)】
樺太に残された日本人女性 ソ連兵の恐怖に震え…過酷な日々、帰国信じ半世紀

 「戦前の樺太は活気にあふれててね。自然も豊かで人情もあって。本当にいいところだった…」

 南樺太で生まれ育った近藤孝子(84)=東京都三鷹市在住=はこう言って目を細めた。

 明治38年、日露戦争後のポーツマス条約で北緯50度以南の南樺太は日本領となった。多数の日本人が入植し、林業や漁業、製紙業などで栄え、昭和16年12月の国勢調査では40万6557人が暮らしていた。

 米国と戦争が始まっても平穏だった。学校では日本人、ロシア人、朝鮮人が一緒に学んだ。近藤は南樺太でずっと幸せに暮らしていけると信じて疑わなかった。

 ところが、昭和20年8月9日、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し、満州に一斉侵攻したことで近藤らの人生は大きく変わった。

 樺太への侵攻は11日に始まり、ソ連国境近くの古屯(ことん)付近で日本軍と戦闘になった。北部の住民が南部に避難してきたが、近藤らが暮らす落合町など南部は空襲もなく、今ひとつ戦争の実感はなかった。

 8月15日正午。近藤は女学校の同級生とともに勤労動員先の陸軍大谷飛行場近くの寄宿舎で、玉音放送を聞き、終戦を知った。

 ところが、終戦後もソ連軍の攻撃は続いた。20日には、樺太西海岸の拠点だった真岡町にソ連軍が上陸した。内地への引き揚げ命令が出た22日、ソ連軍は樺太庁のある豊原市(現ユジノサハリンスク)を爆撃、100人以上が死亡した。

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