産経ニュース

【番頭の時代】第3部「スポーツを支える黒子」(3) スカウト界の一匹狼、「二刀流」大谷獲得の舞台裏 日本ハム・スカウト顧問 山田正雄

ニュース プレミアム

記事詳細

更新

【番頭の時代】
第3部「スポーツを支える黒子」(3) スカウト界の一匹狼、「二刀流」大谷獲得の舞台裏 日本ハム・スカウト顧問 山田正雄

山田正雄スカウト顧問=東京ドーム(納冨康撮影)

 昭和19年生まれの山田が育ったのは東京・神宮球場の近くだった。当時、人気絶頂の東京六大学でのプレーを夢見て、高校は明大の付属校に進んだ。だが、病身の母を支えるため、高校卒業後の38年に野手としてプロ入り。大毎(現ロッテ)で通算11年、途中で投手転向も試みたが、大成できなかった。

 引退後は下着メーカーの営業社員として働いた。

 「パンツ1枚の利益が数円。家族を養うために必死に働いた」

 転機は10年後に訪れる。旧知の間柄だった日本ハム監督(当時)の「親分」こと大沢啓二にコーチ就任を打診された。山田は「希望はスカウト」と一度は断ったが、偶然にもスカウトに空きが出た。大沢にこう言われたという。「サラリーマンとは違って、スカウトは一年勝負だ。俺の顔をつぶしたら承知しないぞ」

 スカウト就任は61年。山田は40歳を超えていた。選手上がりとはいえ、長いブランクがある。その世界では明らかな外様だった。結果を出すため、独自のやり方に勝負を懸けた。他のスカウトにさとられないように、短パン姿のラフな格好でファンに混じって選手を視察したこともある。他球団同士のスカウトが一緒にゴルフに行き、選手の情報を交換することも珍しくない世界で、同業者と群れない山田は「一匹狼」「忍者」と呼ばれた。異色の存在といっていい。

 平成19年のGM就任後も、徹底した「秘密主義」を貫いた。自身や部下たちが足で稼いだ情報は球団の財産。ドラフト指名は順位も含めて直前までごく一部の関係者にしか知らせない。病気で手術したときも、弱みは見せまいと隠し通した。

 日本ハムが東京から札幌に本拠地を移転したのは16年。翌年から導入したのが、最近10年でリーグ優勝4回、Aクラス7回の強さの基盤となった「ベースボール・オペレーション・システム」(BOS)だ。例えば「安打より出塁を重視する」など、統計学的な視点で選手を分析し、効果的な補強を目指す仕組み。中でもドラフトで獲得した選手の育成は、重要な軸になっていた。

このニュースの写真

  • 第3部「スポーツを支える黒子」(3) スカウト界の一匹狼、「二刀流」大谷獲得の舞台裏 日本ハム・スカウト顧問 山田正雄

「ニュース」のランキング