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【戦後70年~大空襲(3)】焦土に残された12万人超の戦災孤児 「みんな死んじゃった…」 疎開先の桜の下で教師と泣いたあの日

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【戦後70年~大空襲(3)】
焦土に残された12万人超の戦災孤児 「みんな死んじゃった…」 疎開先の桜の下で教師と泣いたあの日

空襲で焼けた目黒区上目黒付近

 昭和19年11月~20年8月まで100回超も続いた米軍による東京空襲は、家族の絆をも蹂躙した。空襲で親を失い、独りぼっちとなった孤児たちはその後も苦難の人生を歩まねばならなかった。

 14歳だった戸田成正(84)=板橋区在住=は右耳、左脚に空襲で負った火傷の痕が残る。口元の傷痕には目立たぬよう絆創膏を張っている。

 昭和20年4月13日深夜、陸軍造兵廠や被服廠がある王子区(現北区)など東京都北部に300機超のB29爆撃機が襲来した。「城北大空襲」。2459人の死者が出た。荒川区の京成電鉄新三河島駅近くにあった戸田の自宅も焼け落ちた。

 目の不自由な母と2人で暮らしていた戸田は、空襲警報で飛び起きると、母の手を引いて大通りに飛び出した。近くに焼夷弾が落ち、ナパーム剤が親子に降りかかった。母はあっという間に火だるまになった。戸田は大火傷を負いながらも担架で運ばれる母に付き添ったが、途中で意識を失った。

 気付くと病院のベッドの上だった。看護師たちの会話から母の死を知ったが、母の遺体がどこに運ばれたかさえも分からなった。

 戸田は孤児になった。母の遺骨は見つからなかった。「あのとき母を別の方へ誘導していれば、死なせずに済んだかもしれない」。戸田は今も自責の念にかられることがある。

× × ×

 20年8月15日。戸田は終戦の玉音放送を池袋近くの養育院で聞いた。感慨はなかった。勝ったとか負けたとかよりも「これからどう生きていけばよいのか」を考えていた。

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