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【北方領土 屈辱の交渉史(5)】「抑留者の命には限りがある」 領土問題棚上げでも日ソ国交回復急いだ鳩山一郎

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【北方領土 屈辱の交渉史(5)】
「抑留者の命には限りがある」 領土問題棚上げでも日ソ国交回復急いだ鳩山一郎

北方領土・色丹島の斜古丹に設けられた、ソ連軍戦車の車体を使った第2次大戦を記念するモニュメント=10月20日(共同) 北方領土・色丹島の斜古丹に設けられた、ソ連軍戦車の車体を使った第2次大戦を記念するモニュメント=10月20日(共同)

 昭和31(1956)年8月19日、軽井沢の別荘で静養中の首相、鳩山一郎の元に農相、河野一郎が訪ねてきた。もはや外相、重光葵に日ソ国交回復交渉を任せていては、らちが明かないと踏んだからだ。

 河野「今こそ先生がお出かけになるときでしょう」

 鳩山「そうだな。もうこうなった以上、僕が出かけるほかあるまい」

 鳩山は、脳出血の後遺症に苦しんでいたが、ついに訪ソを決意した。

 鳩山が注目したのは西独首相のコンラート・アデナウアーの対ソ交渉だった。東西ドイツ分断など難しい問題を棚上げして国交樹立を優先させた「アデナウアー方式」については今もなお評価が分かれるが、鳩山は、そうしなければシベリア抑留者たちの命を救えないと考えた。

 そこで交渉の基本方針として、領土問題を「継続交渉」として棚上げし、「戦争状態の終結」「大使の交換」「抑留者の送還」「日本の国連加盟の支持」「漁業条約発効」の5条件を掲げた。

 鳩山はソ連首相、ニコライ・ブルガーニンに宛てて親書を送った。ブルガーニンは返書で鳩山の5条件の受け入れを表明したが、「領土問題の継続交渉」には触れなかった。

 そこで鳩山は訪ソに先立ち、外務次官を務めた衆院議員、松本俊一をモスクワに派遣した。領土問題の継続交渉とする確約を取り付けるためだった。

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