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李朝の白磁と代々木舞台【白洲信哉「旅と美」360°パノラマ】

白洲信哉 旅と美

李朝の白磁と代々木舞台【白洲信哉「旅と美」360°パノラマ】

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李朝の白磁と代々木舞台【白洲信哉「旅と美」360°パノラマ】

 李朝は1392年から、日本が併合する1910年まで、なんと五百年もの長きを治めた李氏26代の王朝名である。日本で言えば室町から明治の初めまでで、その間生まれた工芸品を総称して、「李朝」と呼んでいる。一口で言えるほどその中身は一様ではないが、陶磁器はその代表であろう。 

 日本と朝鮮半島との陶磁器の関わりは古く、大きく分けて二度の技術や手法の輸入であった。最初は古代国家が形成され始めた五-六世紀に、須恵器が焼成された時期と、秀吉の朝鮮出兵により、多数の陶工を連れ帰り、唐津や伊万里などの新陶磁器に発達した時代だ。

 また、日本人が積極的に朝鮮の陶磁器を発掘し、輸入した時期が二度ある。一つは十六世紀、千利休などの戦国時代に生まれた侘び茶の茶人たち、茶の湯の世界で愛玩されるようになった高麗茶碗だ。多くの茶人にもてはやされた高麗茶碗は、井戸、三島、刷毛目、堅手などの総称で、ここでは割愛するが作風も極めて多種多様である。

 もう一つは昭和の初め、柳宗悦らの、「民芸」の提唱者が、白磁や染付といった当時誰も見向きもしなかった李朝陶磁器を、世界的に声価がある高麗青磁よりも美しいと取り上げた時期だ。

 日本の古陶磁愛好家には、「信楽と李朝で死ねる」という言葉がある。所持し日々使い愛でることによって本望に達するという意味だ。李朝陶磁器と言えば年代、焼成地、技法などその幅は広く、様々な変貌を遂げたが、李朝のチャンピオンを選ぶとしたら、何と言っても中期の白磁、それも大壺ではあるまいか。丸壷と長壷(立壷)があり、特に丸壷は、満月壷と言って韓国では珍重され、写したのはその全盛の作である。

 予々、李朝の白磁には自然光、と考えていたが、撮影場所である代々木舞台の設えに「ここだ」と思った。一般の能舞台は、もともと野外の舞台に覆いを被せたので、室内空間に屋根があると言うおかしなことになっている。雨風は防げるのだが、能に不可欠な自然演出がなくなり、誠に息苦しい。僕はオリンピックにむけて、あんな競技場に重きをおくだけではなく、国立の能楽堂を開閉式のドームにと強く思う。

 昨年、さる大家の能舞台が、銀座の有名施設の地下深く潜ってしまって僕は非常に残念に思う。どうも目指す垂直線の方向が違うと思うのだが、都会の中にあって、代々木舞台のような空間は奇跡的であり、鏡板の育ち方も、野外だからこそだと思う。

 本舞台は1950年(昭和25)の建築で、鏡板は鏑木清方一門の渡邉伍光制作。観世流能楽師浅見真健の還暦を祝い、弟子や後援者の出資によって建設。最古の能楽堂である京都西本願寺国宝の北能舞台を模しており、国の有形文化財に認定されている。現在は、能楽師・浅見真高主宰とした定期公演など能楽の普及と舞台の保存に努めている。(文・パノラマ写真 白洲信哉氏)
(撮影機材:リコー THETA S )

白洲信哉(しらす・しんや) 白洲信哉(しらす・しんや)  文筆家。昭和40年生まれ、東京都出身。日本文化の普及に努め、展覧会など文化イベントの制作にも携わる。平成25年から骨董(こっとう)・古美術の月刊誌『目の眼』編集長。