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【白洲信哉 旅と美】日本の歴史 礎は「縄文」にあり

伝統・文化

【白洲信哉 旅と美】日本の歴史 礎は「縄文」にあり

更新 sty1809030013
縄文土器の中でもよく知られている火焔土器の一群。こうした土器は主に新潟県周辺で発見され、画家の岡本太郎は「われわれ祖先が作りだしたもの、大事な文化の遺産」と記した(PENTAX K-1、HD PENTAX-D FA28-105ミリ、F4.5 1/50sec ISO 3200) 縄文土器の中でもよく知られている火焔土器の一群。こうした土器は主に新潟県周辺で発見され、画家の岡本太郎は「われわれ祖先が作りだしたもの、大事な文化の遺産」と記した(PENTAX K-1、HD PENTAX-D FA28-105ミリ、F4.5 1/50sec ISO 3200)
鹿児島県上野原遺跡は、鹿児島湾や桜島、北に霧島連山を望む、標高約250メートルの台地上にあり、約9,500年前から定住し、2つ並んで見つかったこの最古の壷形土器や、九州最古の土偶など、国内最古で最大級の集落跡である (PENTAX K-1、HD PENTAX-D FA28-105ミリ、F4.5 1/13sec ISO 3200)
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鹿児島県上野原遺跡は、鹿児島湾や桜島、北に霧島連山を望む、標高約250メートルの台地上にあり、約9,500年前から定住し、2つ並んで見つかったこの最古の壷形土器や、九州最古の土偶など、国内最古で最大級の集落跡である (PENTAX K-1、HD PENTAX-D FA28-105ミリ、F4.5 1/13sec ISO 3200)フルスクリーンで見る 閉じる

 日本は歴史が重層したユニークな国だが、その礎が「縄文」にあり、その精神性が現代につながっていることは一般的ではない。本年は北海道命名150年の節目の年だが、すでに縄文時代、北東北地域とは濃密な交流があり、似たような土器や翡翠(ひすい)製品にアスファルトなど、津軽海峡を越えた広範な交易圏を形作っていたことが、発掘された「美」から明らかである。

縄文人は、この猪や、熊の土製品を制作したのは、大事なタンパク源への感謝と、生命力の強い獣に、畏敬の念を抱いてのことのように思う (PENTAX K-1、HD PENTAX-D FA28-105ミリ、F5.6 1/30sec ISO 3200)
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縄文人は、この猪や、熊の土製品を制作したのは、大事なタンパク源への感謝と、生命力の強い獣に、畏敬の念を抱いてのことのように思う (PENTAX K-1、HD PENTAX-D FA28-105ミリ、F5.6 1/30sec ISO 3200)フルスクリーンで見る 閉じる

 三内丸山遺跡などは、3千年もの長期間定住している。これだけ長期間暮らせたのは、今に続く食の多様性があったからだ。獣は60種類以上、魚が70種類以上に、貝類になると350もの数にのぼり、その他無数の木の実など、今日のスーパーの品ぞろえなど比較にならない。彼らは、装飾性の強い土器で煮炊きすることにより、生の材料の保存や、硬いものを軟らかく、各家々にあった竈(かまど)は、縄文以来続いたもので、鍋料理が多様なのも、その名残と言っていいと思う。

約千年間にわたり継続した集落は、北東北における集落構造と共通し、発見された竪穴建物跡はどれも大型で、クジラやオットセイの骨やクリなどが出土。縄文時代紀元前3,000年から紀元前2,000年頃にかけての連続した変遷を辿ることができる (PENTAX K-1、HD PENTAX-D FA28-105ミリ、F11 1/160sec ISO 100)
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約千年間にわたり継続した集落は、北東北における集落構造と共通し、発見された竪穴建物跡はどれも大型で、クジラやオットセイの骨やクリなどが出土。縄文時代紀元前3,000年から紀元前2,000年頃にかけての連続した変遷を辿ることができる (PENTAX K-1、HD PENTAX-D FA28-105ミリ、F11 1/160sec ISO 100)フルスクリーンで見る 閉じる
白洲信哉(しらす・しんや) 白洲信哉(しらす・しんや)  文筆家。昭和40年生まれ、東京都出身。日本文化の普及に努め、展覧会など文化イベントの制作にも携わる。最新刊「旅する美」(発行・目の眼)発売中。 

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