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view 干拓で生まれた「パッチワーク」 秋田県大潟村

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view 干拓で生まれた「パッチワーク」 秋田県大潟村

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五城目町の森山から大潟村方向を望むと水田が夕日で輝いた。秋田県では今月18日から19日かけて大雨に見舞われたが、大潟村では水田の被害もなく無事だった (大西正純撮影) 五城目町の森山から大潟村方向を望むと水田が夕日で輝いた。秋田県では今月18日から19日かけて大雨に見舞われたが、大潟村では水田の被害もなく無事だった (大西正純撮影)

 厚い雲が西の空を覆う。ゆっくりと動く雲の隙間から夕日が差すと、水田が徐々に輝きはじめた。

 日本海に突き出る男鹿半島の付け根に位置する秋田県大潟村。かつてこの場所は琵琶湖(滋賀県)に次ぐ大きさを誇った八郎潟が広がり、シジミ漁が盛んに行われていた。 

高さ3.8メートルの「大潟富士」は人工の山で頂上が海抜0メートル。大潟村がかつての八郎潟の“底”に広がっていることを物語る(大西正純撮影)
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高さ3.8メートルの「大潟富士」は人工の山で頂上が海抜0メートル。大潟村がかつての八郎潟の“底”に広がっていることを物語る(大西正純撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 しかし、戦後の食糧難から米の増産が必要となり、昭和32年、干拓事業に着手。約2万2千ヘクタールあった八郎潟は約1万7千ヘクタールが新たな土地として生まれ変わり、39年に大潟村が発足した。42年に入植が始まり、約600人が全国から干拓地に移り住んだ。

 「もともと栄養のある土地だが、当時は表面が硬く、中が軟らかい田んぼでトラクターが立ち往生することもあった」と振り返るのは、大規模農業にひかれ県内から入植した工藤兼雄さん(82)。公平を期すため土地の場所は抽選で決められ、農家経験者でも1年間の研修を経て入植したという。

 希望にあふれた入植だったが程なくして45年に減反政策が開始される。「突然でショックだった」と工藤さん。しかし、大潟村では大規模農業のおかげで収入が激減することもなく、転作では大豆の栽培が行われている。

 隣の五城目町の森山からは整然とならぶ水田がパッチワークのように一望できる。春は代かきが行われる水田が夕日で赤く染まり、秋は稲穂で黄金色になる景色を求め多くの人が訪れるという。国の政策に揺れた八郎潟の歴史だが、眼下に広がる干拓で誕生した農村は美しかった。(写真報道局 大西正純)

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